出演者自身の述懐によると……翁が覗いて御座るナ……と思ったトタンに囃子方は手を忘れ、地謡は文句を飛ばし、シテは膝頭がふるえ出したという。自分の未熟を翁に塗り付ける云い草であったかも知れないが……。

          ◇

 能管の金内吉平氏は翁の生存当時の能管の中でも一番の年少者で、体格も弱少であったが、或る時、「敦盛」の男舞を吹いている最中に翁が覗いているのに気が付いたので固くなったらしく、笛がパッタリ鳴らなくなった。それでも翁が恐ろしさに、なおも一生懸命に位を取りながら吹くとイヨイヨ調子が消え消えとなる。そこで死物狂いになってスースーフウフウと音無しの笛を吹き立てたが、とうとう鳴らないまま一曲を終えて、どんなに叱られるかと思い思い楽屋へ這入ると、翁は非常な御機嫌であった。
「結構結構。きょうの意気と位取りはよかったよかった」
 と賞められた時の嬉しかったこと……初めて能管としての自信が出来たという。(金内吉平氏談)

          ◇

 前述のような数々の逸話は、翁一流の天邪鬼《あまのじゃく》の発露と解する人が在るかも知れぬが、そうばかりではないように思う。
 翁は意気組さえよければ型の出来栄えは第二第三と考えていたらしい実例がイクラでも在る。
 現在の型では肩が凝《こ》ったり、手首が曲ったり、爪先が動いたりする事を嫌うようであるが、翁の稽古の時には全身に凝っていても、又は手首なんか甚だしく曲っていても、力が這入っておりさえすれば端々の事はあまり八釜《やかま》しく云わなかったようである。
 只圓翁門下の高足、斎田惟成氏なんかの仕舞姿の写真を見ても、その凝りようはかなり甚だしいものがある。記憶に残っている地謡連中の、マチマチに凝った姿勢を見てもそうであった。凝って凝って凝り抜いて、突っ張るだけ突っ張り抜いて柔かになったのでなければ真の芸でないというのが翁の指導の根本精神である事が、大きくなるにつれてわかって来た。
 だから小器用なニヤケた型は翁の最も嫌うところで、極力罵倒しタタキ付けたものであった。そんな先輩連の真似をツイうっかりでも学ぶと、非道い眼に会わされた。

          ◇

 翁が稽古中に先輩や筆者を叱った言葉の中で記憶に残っているものを、云われた人名と一緒に左に列記してみる。アトから他人に聞いた話もある。
「お前が、そげな事をばする
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