と焚火の側に近寄って来た。
見ると火の傍には四人の不思議な人間が、寝たり座ったりして火にあたっている。右の端に坐っているのは黄色い髪を垂らして、穴の無い笛を吹いている汚《きたな》いお爺さんで、その次に寝ころんでいるのは絶えず振り子の無い木の鈴を振り立てている、眉毛も髯も無いクリクリ坊主である。
それからその端にうつ伏せに寝ころんでいるのは、瘠《や》せこけて青ざめた、眼ばかり光る顔に、黒い髪毛《かみのけ》をバラバラと垂らした女で、手には一冊の字も絵も何も書いて無い、白紙の書物を拡げて読んでいる。そしてその右には赤|膨《ぶく》れに肥った真裸体《まっぱだか》の赤ん坊が座って、糸も何も張って無い古|月琴《げっきん》を一挺抱えて弾いていた。並大抵の者がこのような処でこんな者を見たならば、身体《からだ》中の血が凍《こご》えて終うかも知れないのであるが、そこは藍丸王は平気な者で、却《かえっ》て珍しそうにニコニコ笑いながらその前へ近寄って、火の上に手を翳《かざ》した。
すると今まで顔中皺だらけで、どこに眼があるか口があるか解からなかったお爺さんは、藍丸王が側に来て踞《しゃが》んだのを見るや否や、皺の間から大きな皿のような眼と、真赤な口をパッと開いてゲラゲラと笑ったと思うと、それを相図に他の三人は一度に立ち上って、焚火と藍丸王の周囲《まわり》をグルグルまわりながら、奇妙な舞踊《おどり》を始めた。先《ま》ず瘠せ女が白紙の書物を開いて、奇妙な節を付けて歌を唄いながら踊り初めると、あとから赤ん坊が糸の無い月琴をバタンバタンと掌《てのひら》で叩きながら従《つ》いて行く。それにつれてあとの二人は、手に持った道具を振り廻しながら、まるで蟋蟀《こおろぎ》か海老《えび》のように、調子を揃えてはねまわって行った。その歌はこうであった。
「占《し》めた。占めた。旨《うま》い。旨い。
王様になる時が来た。
この国取って我儘《わがまま》云うて
楽しみをする時が来た」
俺達は石神様の
大切な四人の家来。
眼と口と。鼻と耳と」
藍丸の国のはじめに
御主人の石神様が
見るもの聞くもの何にも無くて
たった一人の淋しさつらさ
我慢出来ずに吾が身を咀《のろ》い
天地を咀って死んでしまった」
眼には荒野《あれの》の石より他に
見るものも無い恨みを籠《こ》めて
耳には風音波音ばかり
他には何にも聞かれぬ恨み
鼻には湖の香|埃《ほこり》のかおり
他には何にも嗅《か》がれぬ恨み
舌には話しの相手も無くて
泣くも笑うも只身一ツの
淋《さみ》しい淋しい怨みを籠めて
あとに残して死んでしまった」
見たい見たいが眼玉の望み――
耳は何でも聞きたい願い――
鼻は何でも嗅《か》ぎたい願い――
舌は何でも話したい――
俺等《おいら》が主人《あるじ》の石神様の
怨みの籠もった四つの道具」
書物から出た瘠せ女。
笛から湧き出たお爺さん。
月琴から出た裸体《はだか》の赤児《あかご》。
鈴から出て来たクリクリ坊主」
四人の家来は石神様の
この世を咀う使わしめ」
坊主の持ってる木の鈴は
王の口をば閉じるため。
女の持ってる書き物は
王の眼玉を潰すため。
赤児の持ってる月琴は
王の鼻をば塞《ふさ》ぐため。
爺《じじい》の持ってる石笛は
王の耳をば鎖《とざ》すため。
そうして王を追い出して
四人が代りに王様の
一人の姿に化け込んで
王の威光を振りまわし
勝手な事を為度《した》いため」
面白い。面白い。有難い。有難い。
占めた。占めた。旨い。旨い。
王様に。なる時が来た。
この国とって。我儘云うて
楽しみをする時が来た」
とこんな風に繰り返し繰り返し唄っては踊り、踊っては唄いしていたが、その内に真裸体《まっぱだか》の赤ん坊が、糸の無い月琴を弾き止《や》めると、皆一時にピタリと踊りを止《や》めて、手に手に持っている道具を藍丸王に渡した。
藍丸王が何気なく、クリクリ坊主から振り子の無い木の鈴を受け取ると、こは如何《いか》に、急に唇や舌が痺《しび》れて仕舞って声さえ出なくなった。次に瘠せ女から白紙の書物を受け取ると、今度は眼が見えなくなった。赤ん坊から月琴を受け取ると鼻が利かなくなってしまった。爺《じじ》から笛を受け取るととうとう耳まで聾《つんぼ》になって、どっちが西やら東やら、自分がどこに居るのやら、全く解からなくなってしまった。
この体《てい》を見た四人の魔者は、又もや嬉しそうに藍丸王の周囲《まわり》を踊り廻わって――
「藍丸王はとうとう死んだ。
生きていながら死んで終った。
この世に居ながらこの世に居ない」
面白面白面白い。
俺等《おいら》の主人の石神様は
眼も見え耳も聞こえていたが
広い荒野《あれの》のその只中に
見るもの聞くもの何にも無くて
たった一人の淋しさつらさ
堪《こら》え切れずに天地を恨み
吾が身を怨んで死んでしまった」
残る怨みのその一念が
眼玉に移って女に化けて
口に残って坊主になって
鼻に移って赤児に化けて
耳に残って爺《じじい》になって
今はこの世で藍丸王に
昔の主人の淋しさつらさ
思い知らせる時が来た」
花が咲いても紅葉《もみじ》をしても
風が吹いても時雨《しぐれ》が来ても
見えもしなけれあ聞こえもしまい。
飢《う》えも渇きもせぬその代り
どんな御馳走《ごちそう》貰ったとても
味もわからず香気《におい》も為《し》まい」
鞭に打《ぶ》たれて血が浸《し》み出ても
痛くもなければ悲しくもない。
音も香《か》も無い不思議な身体《からだ》。
この世に居ながらこの世を知らぬ。
夜か昼かは愚かな事よ
我が身の在り家も我が身に知らぬ
世にも淋しい憐《あわ》れな生命《いのち》」
世界の初めの石神様が
闇へと生れて闇へと帰る
たった一人の淋しい心
思い知ったか。思い知れ」
と口々に唄って踊っていたが、やがて赤ん坊が一声ギャッと叫ぶと一所に、四人は一度に燃え立つ火の中へ飛び込んで終《しま》った……と思う間もなく燃え上る火の中から、一人の少年が髪毛《かみのけ》の色から衣服《きもの》まで藍丸王そっくりの姿で、藍丸王の眼の前に踊り出した。見ると今までの藍丸王はいつの間にか見すぼらしい乞食の白髪小僧の姿に変って終《しま》って、緑色の房々した髪の毛も旧来《もと》の通り雪のように白くなっていた。
この有様を見た新規の藍丸王は、忽ちカラカラと笑って、直ぐに傍の焚火の中へ右手を突込んで掻きまわしながら、高らかに呪文を唱えた――
「世界中の何よりも赤い
世界中の何よりも明るい
世界中の何よりも美しい
火の精、血の精、花の精――
その羽子《はね》が羽ばたけば
瞬《またた》く間に天の涯
すぐに又土の底
一飛びに駈け廻る――
その紅《あか》い眼の光りは
夜も昼も同様に
千里万里どこまでも
居ながらに皆わかる――
声という声、音という音
皆聞いて皆真似る――
声の精、言葉の精、歌の精――
赤い鸚鵡出て来い」
と叫びながらその手を火の中から引き出すと、その拳《こぶし》の上には一匹の赤い鳥が乗っかっていた。その赤い鳥は藍丸の王宮から逃げ出して今大勢の兵隊に一日がかり探されている彼《か》の赤鸚鵡と寸分違わなかったが、只その眼玉ばかりは今までと違って、紅玉《ルビー》のように又は火のように、あたりを払って輝やいていた。
それを左の手に据えて、新規の藍丸王はつかつかと白髪小僧に近寄りながら――
「どうだ、藍丸王。見えたか、聞こえたか、解かったか。ハハハハハ。見えまい、聞こえまい、解かるまい。併し無駄だろうが云って聞かせる。云うまでもなく俺は最前の四人の魔者が化けたのだ。石神の怨みの固まりだ。今まで赤鸚鵡を種々《いろいろ》に使って、やっとお前をここまで連れ出して来たのだ。気の毒だがお前の姿は俺が貰った。只|生命《いのち》だけは助けてやるから、その代り賤《いや》しい乞食姿になって、何も見ず、何も聞かず、食べず云わず嗅《か》がずに、世界中をうろ付いておれ。その間《ま》に俺は王に化け込んで、勝手|気儘《きまま》な事を為《す》るのだ。
ああ、東の山に月が出かかったようだ。どれ。そろそろ出かけようか」
と二足三足踏み出したが、又引きかえして来て――
「待て待て。ここでは顔付きがまるで同じだからどっちが本物か解からない。序《ついで》にこうしておいてやる」
と云いながら傍に消え残った真赤な燃えさしを取り上げて、ニコニコ笑っている白髪小僧の顔へいきなりぐっと押し付けて、大きな十文字の焼け痕《あと》を付けた――
「ハハハハ。こうしておけば、よもや本当の藍丸王と気付く者はあるまい。おお。馬よ、来い来い」
と招き寄せると、不思議や立《た》ち竦《すく》んで石のようになっていた筈の馬が、今は易々《やすやす》と動き出して直ぐに王の傍へ来た。王はそれにヒラリと飛び乗って、赤鸚鵡の眼の光りを便りに、森の外へと駈け出した。あとに残った盲目《めくら》の唖の白髪小僧は、最前の焼けどは熱くも何ともなかったと見えて、赤く腫《は》れ上って引《ひっ》つった顔のまま、ニコニコ笑いながら四ツの道具を抱えて、どこを当《あて》ともなく、この森を彷徨《さまよ》い出た。
話し変って、最前四方にわかれて、赤鸚鵡を探しに行った紅矢や兵隊達は、何も見つからぬ内に日が暮れてしまったので、急いで約束の樫の木の森に来て見ると、今度は他の者は皆揃ったが肝要《かんじん》の王様が居ない。これは大変だと皆一度に馬に飛び乗って、口々に藍丸王様藍丸王様と叫びながら暗い山の中を駈け出すと、その中《うち》に南の方の立木の間から、真赤に光る松明《たいまつ》が見えて来た。
ところが不思議や四十人の騎馬武者が乗っている馬は、この光りをチラリと見るや否や一度に立ち竦んで一歩も前へ進まなくなった。打っても叩《たた》いても動かない。蹴っても煽《あお》ってもどうしても、石のように固くなっている。
皆は驚き慌てて、これはどうした事と騒ぎ立てたが、中にも紅矢は吃驚《びっくり》して――
「皆の者、気を付けよ。あの光りは怪しい光りだぞ。事に依《よ》ると魔者かも知れぬぞ。皆馬から降りて終え。弓を持っている者は矢を番《つが》えよ。剣を持っている者は鞘《さや》を払え。あれあれ。だんだん近付いて来る。皆紅矢に従《つ》いて来い。相図をしたらば一時に矢を放して斬りかかれ」
と叫んだ。声に応じて四十人の武者《さむらい》は、一度に馬から飛び降りて、二十人は弓を満月のように引き絞り、あとの二十人は剣を構えて眼の前に近付いて来た光る者にあわや打ちかかろうとした。ところがこの時遅く彼《か》の時早く、紅矢は又もや一声高く――
「待て。粗相するな。王様だぞ」
と叫んだ。それと一所に、向うから来る者は赤い鳥を左の拳《こぶし》に据えて馬の上でニコニコ笑いながら帰って来る藍丸王だという事がわかって、兵隊共は皆一度に矢を外し剣を納めて、地面《じべた》の上にひれ伏した。中にも紅矢はホッと一息安心すると一所に、今までと打って変った鸚鵡の眼の光りに驚いて、どういう訳かと怪しんだ。
その時に王は皆の前に馬を停《とど》めて、左の拳を高く差し上げながら――
「皆の者。よく見よ。これが今まで探していた赤鸚鵡という鳥だぞ。今までこの山の神様の使わしめで有ったのだぞ。自分は今まで彼《か》の谷底の杉の森に行って神様にお目にかかって、この鳥がいろいろの不思議な役に立つ事を教えてもらっていたのだ。皆の者、よく見ておけ」
と云いながら鸚鵡に向って――
「ウウウウ。月が出たぞ」
と云い聞かせると忽ち今までの赤い眩《まば》ゆい光りが消え失せて、四方が真暗になった。その代り東の方の林の間には、黄色い大きなお月様が、まんまるくさし昇っていた。
皆の者は夢に夢見る心地がして、互にその不思議な術を驚き合いながら、この時やっと動くようになった馬に乗って、王の後《うしろ》に
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