思議、見たか聞いたかわかったか。

 藍丸国のその中で、南の国に湖の、
 数ある中で名も高い、多留美《たるみ》と呼ばるる湖は、
 お年寄られた父《とう》様と、妾《わたし》が魚《うお》を捕るところ。
 翡翠《ひすい》の波を潜《くぐ》っては、金銀の魚《うお》を追いまわし、
 瑠璃《るり》の深淵《ふかみ》に沈んでは、真珠の貝を探り取る。
 捕って尽きせぬ魚《うお》の数、拾うて尽きぬ貝の数。
 扨《さて》は楽しい明け暮れに、小さい船と小さい帆を、
 風と波とに送られて、歌うて尽きぬ海の歌。

 けれども妾は昨夜《ゆうべ》から、この身の上の幸福《しあわせ》は、
 只これ切りのものなのか、それとももっとこの世には、
 楽しい事があるのかと、疑わしくてなりませぬ。

 今朝《けさ》明け方に見た夢の、扨も不思議さ面白さ。
 漁師であった父様が、美留楼公爵様となり、
 おわかれ申した母《かあ》様と、兄《にい》様|姉《ねえ》様お揃いで、
 十幾年のその間、楽しく暮したものがたり。

 銀杏《いちょう》の文字のお話しの、惜しいところであと絶えて、
 石神様のお話しは、わが身の上の事となり、
 白髪小僧と青眼玉、それに妾と三人で、
 追いつ追われつ行く末は、真暗闇の森の中。

 扨《さて》眼が覚めて気が付けば、この身は矢張|旧《もと》のまま。
 十幾年の栄燿《えよう》をば、只片時の夢に見た、
 枕に響く波の音、窓に吹き込む風の声、
 身は干《ほ》し藁《わら》のその中に、襤褸《ぼろ》を着たまま寝ています。

 今の妾が仕合わせか、夢の妾が仕合わせか。
 青い空には雲が湧く、黒い海には波が出《い》づ。

 よしや夢でも構わない。よしうつつでも構わない。
 妾は不思議な珍しい、又面白い恐ろしい、
 あの石神のお話しの、続きをもっと見たかった。
 ほんとに惜しい事をした、ほんとに惜しい事をした。

 おやまあお前は赤鸚鵡、夢に出て来た赤鸚鵡。
 まだ夜《よ》も明けぬ窓に来て、窓の敷居に掴《つか》まって、
 星の光りを浴《あ》みながら、ハタハタ羽根を打っている。
 お前は本当に居たのかえ、本当にこの世に居たのかえ。

 もしもお前が夢でなく、本当《ほんと》にこの世に居るのなら、
 お前の仲間の化け物の、四つの道具や扨《さて》は又、
 蛇や鏡もこの国の、どこかに居るに違いない。

 そしてお前が眼の前に、今まざまざと居るように、
 美留女の智恵や学問を、妾はちゃんと持っている。
 夢は覚めても忘れずに、妾はちゃんと持っている。

 扨は今のは正夢か、本当にあった事なのか。
 そして妾があのように貴い身分になる事を、
 前兆《まえじ》らせする夢なのか、本当《ほんと》に不思議な今朝《けさ》の夢。

 銀杏の根本で繙《ひもど》いた、不思議な書物の中にある、
 妾の女王の絵姿は、絵空事ではなかったか。

 空には白い星の数、海には青い波の色。
 棚引く雲の匂やかに、はや暁の色染めて、
 東の空にほのぼのと、夢より綺麗な日の光り。

 赤い鸚鵡よどうしたの、まあ恐ろしい美しい、
 真赤な真赤な光明を、眩しい位輝やかし、
 あれ羽ばたきをするうちに、窓から高く飛び上り、
 東の空に太陽の、光りが出ると一時《いちどき》に、
 海の面《おもて》に湧き上る、金銀の波雲の波、
 蹴立て蹴立てて行く末は、あと白波の沖の方、
 あれあれ見えなくなりました……」
 藍丸王は又もやこの歌に聞き惚《と》れて、うっとりと眼を細くして夜《よ》の更《ふ》けるのも忘れていた。
 するとその中《うち》お寝《やす》みの時刻が来たと見えて、今朝《けさ》の青眼老人が、六人の小供と一所に、手燭を持って這入って来たが、王が真暗な室《へや》の中《うち》に鸚鵡の籠を置いて、一心にその歌に聞き入っている様子を見ると、何故だか大層驚いた様子で、慌てて王の前に進み寄って――
「王様は飛んでもない事を遊ばします。王様はこの国の古い掟をお忘れ遊ばしましたか。『人の声を盗む者、他《ひと》の姿を盗む者、他《ひと》の生血《いきち》を盗む者、この三つは悪魔である。見当り次第に打ち壊せ、打ち殺せ、焼いて灰にして土に埋めよ』この言葉をお忘れ遊ばしましたか。この鳥こそは今申し上げた、人の声を盗む悪魔で御座りまするぞ。悪魔が王様の御声を盗みに来ているので御座りまするぞ。吁《ああ》。恐ろしい、恐ろしい。御免下されませ。この鳥は私が頂戴して殺して仕舞います」
 と云う中《うち》に籠を取り上げて持って行こうとした。するとその時どうした拍子《ひょうし》か籠の底が抜け落ちたから、鸚鵡は直ぐにパッと飛び出して、さも嬉しそうに羽ばたきを為《し》たが、忽《たちま》ち眼も眩《くら》む程真赤な光りを放ちながら闇の中を大空高く舞い上がって雲の中へ隠れてしまった。

     七 眼、耳、鼻、口

 藍丸王は翌《あく》る朝眼を覚ますと直ぐに身支度を済まして、昨日《きのう》のように紅木大臣と一所にお城の北の先祖の御廟《おたまや》へ参詣《おまいり》をしたが、それから後《のち》は昨日のように種々《いろいろ》な大仕掛な出来事は無かった。お附の者に連れられて自分の室《へや》に帰って、昨日にも倍《ま》して結構な朝御飯を済ました。ところがその御飯が済むと、やがて一人の立派な軍人が這入って来て藍丸王に最敬礼を為《し》ながら――
「紅矢《べにや》様が御出《おい》でになりました」
 と云った。そうして王が軽く頷《うなず》くと間もなく軍人と入れ違って、紅い服に白い靴を穿《は》いた、彼《か》の美紅《みべに》姫とよく肖《に》た少年がさも嬉しそうに元気よく走り込んで来た。そうして藍丸王と抱き合って挨拶をしたが、紅矢は抱き合った手を離すと直ぐに口を開いた――
「王様。昨日《きのう》は私、本当に参りたくて参りたくて堪《たま》りませんで御座いましたよ。本当に私は一日《いちじつ》王様にお眼にかかりませぬと、淋しくて淋しくて一年も二年も独りで居るような心地が致しますよ。今日はその代り何か面白い遊びを致しましょう。魚釣《うおつ》りに致しましょうか、馬乗りに致しましょうか。それとも山狩りに致しましょうか。私は何でも御供致しますよ」
 と凜《りん》とした活発な声で熱心に話す顔を見ると、どんな者でも誘い込まれて、一所に遊びたくなりそうである。すると紅矢は不図、昨夜《ゆうべ》青眼老人が机の傍に置き忘れて行った鸚鵡の空籠を見付けて、驚いて眼を真円《まんまる》にして尋ねた――
「オヤ。この籠は空では御座いませぬか。あの赤い鳥は逃げたので御座いますか」
 王はニコニコ笑いながら点頭《うなず》いた。
「オヤッ。最早《もはや》逃げてしまったか。憎い奴め。私がいろんな面白い芸当を教えておきましたのに。そしてどちらへ逃げて参りましたか」
 藍丸王は矢張《やっぱ》り黙って、昨夜《ゆうべ》鸚鵡が逃げ出した東の窓を指《ゆびさ》した。これを見ると紅矢は膝をハタと打って――
「ああ。解りました。解りました。それでは自分の旧《もと》居た山へ帰ったので御座います。何でも私の家来が四五日前に彼《か》の山へ小鳥を捕りに参りました時に一所に網に掛かりましたのだそうで、私もあまり珍しゅう御座いましたから妹に預けておいたので御座います。名前は何と申しますか存じませぬが、何の声でもよく真似る面白い鳥で御座いましたのに惜しい事を為《し》ました。ではこう遊ばしませぬか。今日は山狩りの御供を致しましょう。そうして今一度|彼《か》の鳥を捕《とら》えようでは御座いませぬか。何、訳は御座いませぬ。直ぐに捕まえてこの籠に入れられますよ。如何《いかが》で御座います。そう為様《しよう》では御座いませぬか」
 と熱心に勧めた。そうして藍丸王が軽く点頭《うなず》くのを見るや否や、気の早い児と見えて直ぐに兵隊に云い付けて狩りの支度をして仕舞った。
 弓矢を背負うた四十人の騎馬武者と、角笛を胸に吊した紅矢を後前《あとさき》に従えた藍丸王は白い馬に乗って、華やかな鎧を着た番兵の敬礼を受けながら、悠々とお城の門を出かけたが、流石《さすが》藍丸国第一の都だけあって、王の通った街々はどこでも賑《にぎ》やかでない処は無く、雲を突き抜く程高い家が隙間《すきま》もなく立ち並んでいるために、往来は井戸の底のように昼間でも薄暗く、馬や、牛や、犬や、駱駝《らくだ》や、駝鳥だの、鹿だの、その他|種々《いろいろ》のものに引かせた様々の形《かた》をした車が、行列を立てて歩いて行く。そうして髪毛《かみのけ》や、眼色《めいろ》や、顔色が赤や、白や、鳶色《とびいろ》や、黒等とそれぞれに違った人々が、各自《てんで》に好きな仕立ての着物を着て、華やかに飾り立てた店の間を、押し合いへし合《あい》して行き違う有様は、まるで春秋《はるあき》の花が一時《いちどき》に河を流れて行くようである。けれども藍丸王の行列が見えると、こんなに繁華な往来が皆一時にピタリと静まって、見る間に途《みち》を左右に開いて、馭者《ぎょしゃ》は鞭《むち》を捧げ畜生は前膝を折り、途行く人々は帽子を取って最敬礼をする。その間を王の行列は静々と通り抜けて、間もなく街外れに来ると、そこから馬を早めて野を横切って、東の方に並んでいる山の中に駈け入った。
 この日お供をしている四十人の騎馬武者は、皆紅矢の命令《いいつけ》を守って他《た》の鳥|獣《けもの》には眼もくれずに、只赤い羽根を持って人間の声を出す鳥が居たらばと、そればかり心掛けて、眼を見張り、耳を澄まして行った。中にも紅矢は真先に立って、もしや人間のような鳥の鳴き声がするか、赤い羽根の影が見えはせぬかと、皆と一所に油断なく気を付けて次第に山深く分け入ったが、見ゆるものとては山々の燃え立つような紅葉《もみじ》ばかり。聞こゆるものとては遠くを流るる谷川の音。それさえ折々は途絶え途絶えて、空には雲一つ見えず、地には木《こ》の葉一枚動かず、気味の悪い程静かに晴れ渡った日であった。
 それでも皆気を落さずに一心になって探し続けたが、やがて正午《ひる》近くなって、人も馬もとある樫《かし》の樹の森に這入って、兵糧《ひょうろう》を遣《つか》いながら一休みしてからは、夕方ここで又会う約束で、四十人が四組にわかれて、四方の山や谷を残る処無く探した。けれども相変らず森閑《しんかん》としていて、眼指す赤い鳥は影も形も見せない。
 中にも藍丸王の十人の組は、以前《さっき》の樫の森から東側へかけて、夕方まで探していたが、最早《もはや》日が暮れかかってもそれらしい影は愚か、小雀《ことり》一羽眼に這入らぬから、皆|落胆《がっかり》して疲れ切ってしまって、約束の通り最前《さっき》の樫の樹の森へ帰ろうとした。
 するとこの時不意にどこか遠い処で、鳥のような人間のような奇態な声で歌を唄っているのを十人が一時に聞いた。
「妾《わたし》はここに居りまする。淋しくここに居りまする。
 恋しい御方の御出《おい》でをば。御待ち申しておりまする。

 青い空には雲が湧く。黒い海には波が立つ。
 昔ながらの世の不思議。見たか聞いたか解ったか。

 よしや夢でも現《うつつ》でも。妾はここに居りまする。
 淋しくここに居りまする。妾の名前は赤鸚鵡」
 皆は顔を見合わせて、それっというと俄《にわか》に元気百倍して駈け出したが、どう為《し》たものか十人が十人共、各自《てんで》に一人は東、一人は西と違った方に声を聞いて、こっちだこっちだと云いながら、八方に散って行った。
 あとに残った藍丸王は、どっちとも解らず、只その声の為《す》る方に迷い迷うて、いつの間にか只《と》ある谷の奥深く、真暗な杉の木立の中へ這入って仕舞った。
 その時は最早《もう》短い秋の日が暮れて、鳥の声も聞こえなくなっていたが、その代り真暗な杉の森の奥にチラチラと焚火《たきび》の光りが見えて来た。その火を見ると今まで音《おと》なしく王を乗せて来た白馬《しろうま》が驚いたと見えて、急に四足を突張って動かなくなったから、藍丸王は馬から降りて手綱《たづな》を放り出したまま、つかつか
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