淋しさつらさ情なさ。男はとうとう焦《じ》れ出して、
 一体誰がこの俺を、こんな野原に生み出した。
 一体誰がこの俺を、こんな荒野《あれの》に連れて来た。

 寧《いっ》そ眠っているならば、死ぬまで眠っているならば、
 こんな淋しい情ない、つらい思いはしまいもの。
 一体誰がこの俺を、ドシンとなぐって起したと、
 ぬっくとばかり立ち上り、声を限りに怒鳴《どな》ったが、
 答えるものは山彦の、野末に渡る声ばかり。

 青い空には雲が湧く。けれども自分は只一人。
 黒い海には波が立つ。けれども自分は只一人。

 男はとうとう怒り出し、吾れと吾が髪引掴み、
 赤く血走る眼を挙げて、遠い青空|睨《にら》みつつ、
 大声揚げて泣きながら、天も響《ひび》けと罵《ののし》った。

 大空も聞け土も聞け、山も野も聞け海も聞け。
 目に見えるもの見えぬ者、あらゆる者よ皆《みんな》聞け。
 俺は死ぬのだ今直ぐに、この場で死んで了《しま》うのだ。
 われと自分の淋しさに、天地を怨《うら》んで死ぬるのだ。
 こんな淋しい恐ろしい、所に長く生きていて、
 悲しい思いするよりは、死んでしまった方が好い。

 こんな眼玉があったとて、面白いもの見なければ、
 綺麗なものを見なければ、何の役にも立たないと、
 われと吾が眼をえぐり出し、虚空《こくう》はるかに投げ棄てた。
 その投げ上げた眼の玉が、地面《じべた》に落ちたその時は、
 一字も文字の書いて無い、巻いた書物となっていた。

 二ツの耳もこの上に、面白い事聴かれねば、
 他人《ひと》の話しもきかれねば、何の役にも立たないと、
 両方一度に引き千切り、地面の上に打ち付けた。
 すると二ツ耳も亦、地面に落ちると一時《いちどき》に、
 一ツも穴の明いて無い、重たい石の笛となる。

 鼻はあっても見る限り、咲く花も無い広い野の、
 埃《ほこり》に噎《む》せるばかりでは、却《かえっ》て邪魔《じゃま》にしかならぬ、
 糞《くそ》の役にも立たないと、これも千切って打ち付けた。
 するとガタンと音がして、糸を張らない月琴《げっきん》が、
 この大男の足もとの、石の間に落っこちた。

 又|一人《いちにん》も話しする、相手が無ければこの舌も、
 無駄なものだと云ううちに、ブツリとばかり噛み切って、
 石の間に吐《は》き棄《す》てた。それと一緒にコロコロと
 振り子の附かない木の鈴が、地面の上に転がった。

 こうして我れと吾が身をば、咀《のろ》い尽《つく》した大男、
 息は忽《たちま》ち絶え果てて、石の野原に打ちたおれ、
 手足も頭もバラバラに、胴と離れて転がった。

 折しも四方に雲が湧き、雷が鳴り風が吹き、
 月日の光りも真暗に、砂や小石を吹き上げて、
 車軸を流す大雨を、泥や小砂利の滝にして、
 彼《か》の大男の亡骸《なきがら》も、埋もるばかりにふりかけた。

 その時海も野も山も、砕くるばかりに鳴り渡る、
 さも物凄い恐ろしい、真暗闇のただ中に、
 彼《か》の石男の眉間《みけん》から、赤い光りが輝やいて、
 額の骨が真二《まっぷた》ツに、パッと割れたと思ううち、
 真赤な鸚鵡が飛び出して、東の方へ飛んで行《っ》た。

 又石男の胸からは、青い光りが輝やいて、
 身に宝石の鱗《うろこ》着た、細い海蛇《かいだ》を巻き付けた、
 大きな鏡が現われて、南の方へ飛んで行《っ》た。

 やがて空には雲が晴れ、地には嵐が吹き止んで、
 泥の野原に泥の山、濁った海のその他は、
 何にも見えぬその涯《はて》に、真赤な真赤な太陽が、
 ぐるぐるぐると渦巻いて、眩《まぶ》しく沈みかけていた。

 その時地面のドン底の、彼《か》の石男の亡骸《なきがら》の、
 数限りない毛穴から、何億万とも数知れぬ、
 大きい小さい様々の、石の卵が湧き出して、
 暖かい日に照らされて、一ツ一ツにかえり出す。

 足から出たのは艸《くさ》や木に、胴から出たのは虫けらに、
 手から出たのは鳥獣《とりけもの》、水に沈めば魚《うお》くずに、
 又頭から湧いたのは、数限りない人間に、
 われて這い出て世の中に、今の通りに散らばって、
 一ツの国が出来上り、藍丸という名が付いた。

 扨《さて》その中に只一つ、臍《へそ》の中から湧き出した、
 小さい白い一粒は、気高い尊い御姿の、
 若いお方に抜けかわり、藍丸国の王様の、
 位に即《つ》いてそのままに、何千何万何億と、
 数限りない年月《としつき》を、無事に治めておわします。

 この藍丸の国のうち、津々浦々に到るまで、
 皆正直に働いて、この珍しい長生《ながいき》の、
 王に忠義を尽《つく》す故、王はおいでになりながら、
 広い国中何一つ、御気にかかった事もなく、
 いつも御殿の奥深く、銀の寝台《ねだい》に身を休め、
 現《うつつ》ともなく夢ぞとも、御存じのない魂は、
 他の世界へ抜け出でて、他の世界の人々に、
 王の心の気楽さを、示し歩いておわします」[#最後の5行は底本では字下げなし]

 ここまで読んで来ると生憎《あいに》く、先に立ったお爺さんは、この時|不図《ふと》袋が軽くなったのに気が付いて、変だと思いながらふり返って見ると、自分の背中の袋から落ちた銀杏の葉が、ずっと背後《うしろ》まで長く続いているのを見付けた。これは大変と吃驚《びっくり》して袋を調べて見ると、最前《さっき》美留女姫が鋏で切り破った穴が、袋の底に三角に開《あ》いている。お爺さんはこれを見ると憤《おこ》るまい事か――
「奴《おの》れ小娘、覚悟をしろ。こんな悪戯《わるさ》をして俺の大切な役目を破ったからには生かしておく事は出来ないぞ。どうするか見ておれ」
 と大きな声で怒鳴りながら、忽《たちま》ち鬼のような顔になって袋も何も打《う》っ棄《ちゃ》って、あと引かえして追っかけて来た。
 美留女姫は二度|吃驚《びっくり》。もう銀杏の葉の字を読むどころの沙汰《さた》ではない。慌てて逃げ出して、後《あと》から来た白髪小僧の袖に縋って――
「あれ、助けて頂戴。白髪小僧さん。助けて頂戴。あのお爺様に殺されます。妾《わたし》を助けて頂戴。連れて逃げて頂戴。早く。早く」
 と云いながら、もう先へ立って駈け出した。この様子を見たお爺さんは益々腹を立てて真赤になって、
「奴《おの》れ悪魔の娘、逃げようとて逃がすものか。空の涯までも追っかけて引っ捕えてくれる。引っ捕えたら生かしてはおかないぞ。あとから行く白髪の男、貴様も待て。二人共悪魔であろう。国を乱す悪魔であろう。石神の文《ふみ》を読んだからには悪魔の片われに違いない。逃がす事は出来ないぞ。生かしておく事は出来ないぞ」
 と大きな声で喚《わめ》きながら追っかけた。
 ところがこの時白髪小僧は、美留女《みるめ》姫に誘われて一所にあとから逃げながら、このお爺さんの喚《わ》めき声を聞き付けて不図うしろをふり返ると、その顔を一目見るや否や、お爺さんは又もや腰の抜ける程驚いた様子で――
「ヤヤ。貴方《あなた》様は藍丸国王様では御座いませぬか。どうしてここにお出で遊ばしました。そうしてそのお姿は……まあ、何という恐れ多い……浅ましいお姿……」
 と呆気《あっけ》に取られて立ち止まった。けれども美留女姫は少しも気が付かずに先へ走るし、白髪小僧もそのあとからくっついて、お爺さんが立ち止まった隙《ひま》にドンドン駈け出して行った。この様子を見るとお爺|様《さん》はもう狂気《きちがい》のように周章《あわて》出して――
「あれ。王様。王様。これはどうした事で御座います。お待ち下さりませ。お待ち遊ばせ。その女は悪魔……大悪魔で御座いますぞ。飛んでもない。飛んでもない。お待ち……お待ち遊ばせ。王様。王様」
 と息を機《はず》ませて、又もや宙を飛んで追っかけた。
 こうして三人は追いつ逐《お》われつ、だんだん人里遠く走って来たが、美留女姫はもう苦しくて苦しくて堪《たま》らないような声を出して――
「白髪小僧さん……白髪小僧さん……」
 と呼びながらふり返りふり返り走って行く。うしろからはお爺さんが青い眼玉を血走らして――
「藍丸王様……王様……藍丸様ア」
 と呼びながら追っかける。白髪小僧は只|無暗《むやみ》に息を切らして駈け続けた。
 やがて夕日は西の山にとっぷりと落ち込んで、あたりが冷たく薄暗くなった。野原には露が降りて、空には星が光り初めた。けれどもお爺さんは追っかける事を止めなかった。とうとう山の中へ分け入って、小さな池の縁をめぐって、深い大きな杉の森に這入った時は、あたりがすっかり真暗になって、あとにも先にももう何にも見えず、只怖ろしさの余り声を震わして泣いて行く美留女姫の声を便りに、木の幹を手探りにして追うて行った。その内に白髪小僧は、ヒョロヒョロに疲れて、息をぜいぜい切らすようになった。それでも構わずに走っていると、あっちの根っ子に引っかかり、こっちの幹に打《ぶ》っつかり、もうこの上には一足も行かれないようになって――
「オーッ」
 と呼んだと思うと、そのままそこによろめき倒れてしまった。

     五 七ツの灯火

 すると不思議な事には今呼んだ声が、誰かの耳に這入ったものと見えて、遠くで高らかに――
「オ――オ……」
 と返事をする声がきこえた。白髪小僧はじっと顔を挙げて向うを見ると、丁度《ちょうど》今声の聞こえたあたりに小さな燈光《あかり》が一ツチラリと光り初めた。やがて、その光りが三ツになった。五ツになった。七ツになった。と思う間もなくその七ツの燈火《ともしび》が行儀よく並んでこちらへ進んで来た。その七ツの燈火《ともしび》に照らされた向うの有様を見ると、見事な飾りをした広い廊下で、天井《てんじょう》や壁に飾り付けてある宝石だか金銀だかが五色《ごしき》の光りを照り返して、まことに眼も眩《くら》むばかりの美しさである。そのうちに燈火《あかり》はだんだん近附いて、やがて持っている人の姿がはっきりと見えるようになった。
 見ると七人の持《も》ち人《て》の内真中の一人だけは黄色の着物を着たお爺さんで、あとの六人は皆空色の着物を着た十二三の男の児であった。そうしてそのお爺さんは、最前《さっき》美留女姫と白髪小僧とを追っかけた、眼の玉の青いお爺さんに相違《ちがい》なかった。その中《うち》に七人は直ぐに自分の傍まで近付いて来たが、その持っている手燭《てしょく》の光りで四方《あたり》を見ると、ここは又大きい広い、そうして今の廊下よりもずっと見事な室《へや》である。そうして白髪小僧自身の姿をふりかえって見ると、こは如何《いか》に。最前《さっき》までは粗末な着物を着た乞食姿で、土の上に倒れていた筈なのに、今は白い軽い絹の寝巻を着て、柔らかい厚い布団《ふとん》の中に埋もっている。その上に自分の顔にふりかかる髪毛《かみのけ》を見るとどうであろう! 今まで滝の水のように白かった筈なのが、今は濃い緑色の光沢《つや》のある房々とした髪毛《かみのけ》になって、振り動かす度《たんび》に云うに云われぬ美しい芳香《かおり》が湧き出すのであった。重ね重ねの奇妙不思議に当り前の者ならば、屹度《きっと》気絶でもするか、それとも夢を見ているのだと思って身体《からだ》でも抓《つね》って見るところだが、併《しか》し白髪小僧は平気であった。昨夜《ゆうべ》も一昨夜《おととい》もそのずっと前からここに居て、たった今眼が覚めたような顔をして、先に立ったお爺さんの顔を横になったまま見ていた。
 お爺さんは六人の小供を従えて、寝台《ねだい》の前に来て叮嚀にお辞儀をした。そうして畏《おそ》る畏る口を開いた――
「藍丸王様。青眼爺《あおめじい》で御座います。お召しに依って参りました。何の御用で入らせられまするか。何卒《どうぞ》何なりと御仰せ付けを願います」
 白髪小僧はこう尋ねられても何《なんに》も返事をせずに、只ぼんやりと青眼爺さんの顔を見ていた。
 するとお爺さんは何やら思い当る事があると見えて、傍の小供に眼くばせをしたが、やがてその中《うち》の一|人《に
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