、夜通しの裡《うち》にここまで来た事、又この馬はこの国第一の名馬で瞬く間に千里走るという評判があるから、名を「瞬」と付けてある事等を、詳しく話して聞かせました。お婆さんは聞く事|毎《ごと》に感心をして、紅矢が天子様の御言葉に少しも反《そむ》かなかった心掛けを無暗《むやみ》に賞め千切りましたが、なおその上にも紅矢の家や、王宮の中の模様を根ほり葉掘り尋ねましたから、紅矢は少し気味が悪くなりまして、終いには極く短い返事ばかりしていました。けれどもお婆さんは中々止めませぬ。
やがてさも勿体《もったい》らしく、咳払いを一つしまして――
「紅矢様。よく教えて下さいました。御蔭で妾《わたし》は貴方様の御宅《おうち》の様子や、王宮の中の様子がよくわかりました。けれどもそれと一所に、妾は世にも恐ろしい災が、貴方のお身体《からだ》や、貴方の御家にふりかかっている事を知りまして、どうしたらよいかと思っております」
「何。災が降りかかっている」
と紅矢は思わず釣り込まれて尋ねました。
「お婆さん、それは本当《ほんと》かえ」
「ハイ。何をお隠し申しましょう。妾は南の国で名高い女の占者《うらない》で、今年で丁度八百八十歳になりますが、まだ一度も嘘を云った事は御座いませぬ。今ここに持っておりまする果物も、その占いに使うための不思議な果物で、今度王様が御妃を御迎え遊ばすに就いて、この世で一番賢い美しい姫君をお撰みになるように、この果物を差し上げに行くので御座います。この果物がどんな不思議な働《はたらき》を致しますかという事は、直きに貴方にもお目にかける事が出来ましょう。そうしたら貴方もこの婆《ばばあ》の申し上げる事が、嘘でないと思《おぼ》し召《め》すで御座いましょう」
と申しました。
この婆さんの落ち付いた話ぶりには、流石《さすが》の紅矢もすっかり引き込まれてしまいました――
「何。それは本当《ほんと》かえ。私の家にはそんな恐ろしい災が降りかかろうとしているのかえ。どうしてそれがわかるの、お婆さん。教えておくれ」
と急《せ》き込んで尋ねました。
十四 果物の占い
するとお婆さんはうしろから覗き込んでいる紅矢の顔を、黒い覆面の下からそっと見返りながら申しました。
「そんなにお騒ぎにならなくとも大丈夫で御座います。災というものは前からわかっていれば、誰でも免れる事が出来るもので御座います。けれども貴方のお家の災がどんな災か、はっきり前からわかるためには、妾《わたし》はまだもっと貴方のお家の中の事に就《つ》いて、お尋ね申し上げねばならぬ事が御座います。貴方は少しも隠さずに、私が尋ねる事をお答えになりますか」
「ああ、どんな事でも。屹度《きっと》」
「ではお尋ね致しますが、貴方の末のお妹さんは、美紅《みべに》姫と仰《おっ》しゃるのですね」
「そうだ」
「その美紅姫は貴方とお顔付きがよく肖《に》ておいでになりますか」
「ああ……よく肖《に》ていて、着物を取りかえると一寸わからない位だよ」
「その美紅姫に就いて、この頃何か不思議な事は御座いませぬか」
「ああ、よく知っているね。お婆さん。本当《ほんと》に私はその妹の事に就て解からない事があるのだよ。一体その美紅姫は、小さいときからお話が何より好きで、今まで毎日毎日お話の書物ばかり読んでいたのだが、この頃急にそのお話が嫌いになって、只一人自分の室《へや》に閉じ籠もって何かしきりに考えながら、折々解からない解からないと独言《ひとりごと》を云っているのだよ。だから皆心配してその訳を聞いて見るけれども、どうしてもその訳を云わないで、只明けても暮れても解からない解からないと云い続けている。けれども別段病気でもなさそうだから、打っちゃらかしておくのだよ」
「まあ、そうで御座いますか。それでやっとわかりました。それではその美紅姫は、黒い大きな眼をした、眉《まゆ》の長い、そして紫色の髪毛《かみのけ》が地面まで引きずる位、長いお方では御座いませんか」
紅矢はこのお婆さんが、自分の妹の事を、どうしてこんなによく知っているのかと、怪しみながら答えました。
「そうだよ。それにすこしも違《ちがい》はない」
「フム、そうで御座いましょう。ではもしやその美紅姫は、この間の朝不思議な夢を御覧になりはしませんでしたか」
この言葉を聞いた紅矢はあまりよく中《あた》るのに驚いてしまって、口を利く事が出来ず只やっとうなずいたばかりでした。けれども婆さんは構わずに――
「フム。フム。フム。いよいよ妾の占いは本当だ。では今一つお尋ね申し上げます。その美紅姫がその夢を御覧遊ばした朝、お眼が覚めて吃驚《びっくり》なすった時、窓の処に一匹の赤い鳥が居はしませんでしたか」
紅矢はもう、余りの不思議に呆《あき》れてしまって、只深いため息をつくばかりでした。
「ヘヘヘ……。よく中《あた》りましたで御座いましょう。妾はこの国第一の年寄りで、又この国第一の占者《うらない》なので御座いますもの。当らない筈は御座いませぬ。妾は初め、向うから貴方が馬に乗ってお出でになるのを見付けまして、貴方のお顔を見ました時、すぐに貴方は貴い身分の御方で、御両親や妹御様方があり、しかもその末の妹御様は、この間十何年の長い間、他の国で美留女姫と名乗ってお話|狂気《きちがい》とまで云われた夢を御覧になって、その夢が覚めると、枕元の窓の処に一匹の赤い鳥が居た事、そうしてその長い夢の間に、昨日《きのう》までの事を忘れてしまって、却《かえ》って今の御身の上を夢ではないかと思っておいでになる事なぞが、一時《いちどき》にすっかり解かったので御座います。
紅矢様。お気をお付け遊ばせ。その妹御様の美紅姫こそ、貴方のお家の災の種で御座いますぞ。美紅姫はこの間御覧になった夢の中で悪魔になってしまって、赤い鸚鵡という鳥を召し使いにして、貴方のお家に恐ろしい災を降らせ、貴方の御両親や、貴方や、濃紅《こべに》姫や、家中《かちゅう》の人々を鏖《みなごろし》にして、只自分独り生き残って、そうしてこの国の女王となって、勝手気儘な事をしようと思っておられるので御座いますぞ」
「では濃紅姫はお后になる事は出来ないのか」
と紅矢は声を震わして尋ねました。
「はい、出来ませぬ。出来ませぬ。妹御の美紅姫が邪魔を遊ばします。いや、美紅姫ではない。悪魔に咀《のろ》われた美紅姫、つまり夢の中の美留女姫が邪魔を遊ばします」
「嘘だ。美紅姫はそんな悪い女でない。又そんな悪魔に魅入られるような女ではない。私はお婆さんの云う事を本当にする事は出来ない。他の占《うらない》は皆当ったけれども、今の占だけは決して当らない」
と紅矢は顔を真赤にして、身を震わしながら云い切りました。けれどもお婆さんは中々|凹《へこ》みませんでした――
「今までの占がもし当ったとすれば、今の占も決して中《あた》らぬ筈は御座いませぬ。嘘だと思《おぼ》し召《め》すならば、その証拠を御覧に入れましょうか」
紅矢はお婆さんからこう云われても、どうしても妹の美紅がそんな事をするとは思われませんでした。そしてあの可愛い妹を悪魔のように云うこの婆さんが、心から憎くなりまして、もう一時も馬に乗せておく事は出来ない位腹が立ちました。けれども又思い直しまして、この婆さんは決して悪い気で云っているのではあるまい。屹度占いを間違えて、それを本当にして心配して、自分に教えてくれるのに違いないと考え付きましたから、それならば一つその証拠を見て、それから間違っている事を教えてやろうと思いまして――
「では、お婆さん、その証拠を見せておくれ」
と頼みました。
「その証拠というのは、これ、この果物で御座います」
と云いながら婆様《ばあさん》は、手に持った果物の籠を見せました。
「何、その果物が証拠とは……」
と紅矢は驚いて中を覗きますと、中には見事な林檎が七ツ這入っておりました。
「妾はこれでその占いを立てたので御座います。御覧遊ばせ、七ツ御座いましょう。丁度悪魔の数で御座います。これを倍にすると美紅姫のお年になります。つまり美紅姫は悪魔に取り付かれて身体《からだ》が二ツになって、その半分は今貴方の御命をつけねらっているという事になります」
「馬鹿な。そんな事があるものか。都からここまでは何百里とあるものを」
と又紅矢は馬鹿馬鹿しくなって笑い出しました――
「ではその果物が美紅姫だと云うのかえ」
「イイエ。そうでは御座いませぬ。けれども悪魔の美紅姫はこの果物の直ぐ傍に居るという事で御座います」
「何、私の傍に」
と紅矢は思わずそこらを見まわしましたが、そこは丁度|只《と》ある森の中の橋の上で、あたりには人一人通らず極く淋しい処でした……と思う間もなくどうした途端《はずみ》か、お婆さんは不意に今まで大切に抱えていた果物の籠を、馬の上から取り落しまして――
「あれっ。大変だア」
と叫びながら、自分も一所に馬の上から転がり落ちて、周章《あわて》て果物を拾おうとしましたが、生憎《あいにく》果物は橋板の上を八方に転がり出して、大方河の中へ落ちてしまいました。するとお婆さんは俄《にわか》に泣き声を張り上げて――
「あれッ。大切な果物が皆河へ落ちた。王様へ差し上げる占《うらない》の果物は皆流れて行って終う。ああ、勿体ない。勿体ない。あれ、取って下さい。取って下さい。誰も取ってくれなければ妾が行く」
とそのまま欄干《てすり》に走り寄って、今にも飛び込もうとしました。これを見た紅矢は驚くまい事か、「お婆さん、危い」と叫びながら直ぐに馬から飛び降りて、お婆さんを抱き止めて、代りに自分が素裸体《すはだか》になって、橋の欄干《てすり》から身を躍らして河の中へ飛び込みました。
この体《てい》を見ますと、今まで橋の欄干《てすり》に縋り付いて泣いていた婆さんが、急に泣き止んで矗《すっく》と立ち上りまして、いきなり頭巾や、外套や、手袋をかなぐり棄てますと、お婆さんと見えたのは美留藻《みるも》が化けたので、今ドンドン流れて行く果物と、それを追《おい》かけて行く紅矢を眺めて気味悪くケラケラと笑いました。そうして声高く、
「お兄様……悪魔の美紅をよく御覧なさい」
と云うかと思うと直ぐに、傍に脱ぎ棄ててある紅矢の帽子から靴まですっかり盗んで身に着けるが早いか、ヒラリと「瞬」に飛び乗って、強く横腹を蹴《けり》付けながら、一足飛びに都の方へ飛び出しました。
十五 白木綿
悪魔美留藻はやがて何百里という途を矢のように飛ばして、名前の通り瞬く間に都に到着しますと、美留藻は先ず呉服屋へ参りまして、晒木綿《さらしもめん》を買いまして、それからとある人通りの少ない横路地へ這入りました。そうして上衣やズボンの方々に泥を沢山なすり付け、その上に顔中すっかり繃帯《ほうたい》をして眼ばかり出して、男だか女だか解らぬようにして終いますと、今度はこの都第一の仕立屋へ這入りまして、紅矢の声色を使って、自分は総理大臣の息子の紅矢である。最前馬から落ちて顔に怪我をした上に、大切な着物を汚してしまったのだが、明日《あす》は又王宮に行かねばならぬから、今日の正午《ひる》迄に今一着同じ服と、外套一枚を仕立て上げろ。但し材料《しなもの》や飾りは出来るだけ派手な上等のものにして、鈕《ぼたん》にはこれを附けるようにと云いながら、髪毛《かみのけ》の中から大粒の金剛石《ダイヤモンド》を十二三粒取り出して渡しました。
折よくこの仕立屋の亭主は紅矢の家《うち》へ出入りの者で、紅矢の身体《からだ》の寸法を心得ていて、委細承知致しましたと受け合って、金剛石《ダイヤモンド》を受け取りましたから、美留藻はなおも念を押して、家《うち》中総掛りで屹度間に合わせろと命じて、又馬を飛ばせました。それから帽子屋へ参りまして上等の帽子を、矢張り正午《ひる》迄の約束で誂《あつら》えまして、その飾りにと云って、ここへも大きな金剛石《ダイヤモンド》を一粒渡しました。それから剣屋《つるぎや》へ行って剣を、靴屋へ行って靴を、手袋屋へ行って手袋を、
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