どういう訳でそのような妙な事を云ったり為《し》たりするのだ。少しも訳がわからぬではないか。なぜそのように隠すのだ。なぜそのように恐れるのだ。さあ、云え。さあ、返事をしろ。すっかり白状してしまえ」
 王はこう云いながら一層鋭く青眼を見つめました。けれども青眼は矢張《やっぱ》りその眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったまま返事をしませぬ。じっとその顔を見ていた王は、やがて莞爾《にっこり》と笑って申しました――
「ハハア、解かった。貴様が隠す訳がわかった。恐れる訳がわかった。隠す筈だ。云えない筈だ。その掟は矢張り嘘の掟だからだ。貴様の先祖から代々貴様までも、根も葉もない作り事をして、俺にこのような貴い有り難い宝物《ほうもつ》を近づけぬようにして、自分だけ世界一の利口者になろうとしているのだ」
「いえ、決してそんな事は御座いませぬ。悪魔はどうしても悪魔で御座います。何卒《どうぞ》何卒王様、私の申す事を……」
 と青眼は慌てて口を利きました。
「黙れ。青眼。貴様はどうしても俺を欺そうとする。貴様こそ悪魔だぞ。イヤ悪魔だ。悪魔に違いない。貴様の家は先祖代々云い伝えて、俺のお守役になって、嘘の掟を作って、こんな重宝なものを遠ざけて終《しま》いに俺を何にも知らぬ馬鹿者にしようとしたのだ。最早《もはや》俺は貴様の云う事を聞かぬ。俺はこの鸚鵡から、世界中の事を聞かせてもらった。又この鏡から、世界中の事を見せてもらった。御蔭で大層利口になった。こんな嬉しい事はない。こんな有り難い事はない。今まで俺に何事も知らせまい知らせまいとしていた貴様は、大不忠者だぞ。これ兵隊共、此奴《こいつ》を王宮の外に抓《つま》み出せ。以後俺が許す迄は王宮に来る事は相成らぬぞ」
 と云いながら扉をドシンと閉めました。
 青眼は忽ちむっくと起き上って、今閉まったばかりの扉に取り付いて男泣きに泣き出しました。
 青眼は藍丸王のこのように荒々しい、狂気《きちがい》じみた姿を見たのはこれが初めてでした。又このように無慈悲な言葉で、嘲けられ罵《のの》しられた事も初めてでした。あまりの事に扉に取り付いて、流るる涙を拭《ぬぐ》いもあえず――
「王様。王様。王様は気でもお狂い遊ばしましたか。この間まであのように優しく、あのように気高くておいで遊ばした王様が、どうしてそのようなお情ない浅ましい御心にお変り遊ばしたので御座いましょう。これと申すもあの鏡と鸚鵡、二ツの魔物が、王様の御心を眩《くら》ましたからで御座いましょう。何卒《どうぞ》、王様。御心を御静め遊ばして私の申す事を御用い遊ばして……」
 と喘《あえ》ぎ喘ぎ口説き立てましたが何にもなりませんでした。扉の中からは何の返事も聞こえず、却《かえっ》て廊下番の兵隊共に引き立てられて、王宮の御門から逐《お》い出されてしまいました。
 ところが青眼先生が引っ立てられて行くと間もなく、又もや赤鸚鵡が叫び立てました――
「あれあれ、王様、今度は紅矢が御目にかかりに来る様子で御座います。今|家《うち》から馬に乗りまして、この御殿の方へ出かけるところで御座います。
 只今紅矢が参りますのは他の事でも御座いませぬ。紅矢はずっと以前《まえ》に旧《もと》の藍丸王から、自分の第一番目の妹|濃紅《こべに》姫をお后に差し上げるよう、固い御言葉を受けておりまして、まだ家《うち》の者には話しませぬが、兄妹《きょうだい》共はそれを楽しみに致しておったので御座います。ところが紅矢はこの間から父の用事で、北の加美足国へ参いっておりましたが、今日帰って参りますと、今朝《けさ》王様があのような御布告《おふれ》をお出し遊ばして、他の国々からお后をお選みになるという事を聞いて、妹思いの事で御座いますから、夢かとばかり驚きまして、直ぐに王様の御布告《おふれ》が本当かどうか伺いに参いるので御座います。今紅矢は廊下の番兵にお取次を頼みました。御聞き遊ばせ」
 と云いも了《おわ》らぬうちに兵士の声が扉の外から――
「紅矢様の御出《おい》でで御座います」
 と高らかに聞こえました。
 王は直ぐに返事をしました――
「まだ誰もこの室《へや》に這入る事は相成らぬ。用事があるなら後《のち》に来い」
 この言葉を扉の外で聞いていた紅矢は、全く夢に夢見る心地がしました。紅矢も青眼先生と同じように、王様からこのような荒々しい、菅無《すげな》い言葉を受けたのは、これが初めてでした。それでなくても濃紅姫の事を思うて、胸が一パイになっていた紅矢は思わず扉に取り付いて叫びました――
「王様。王様。王様は如何《いかが》遊ばしたので御座いますか。どうしてそのようなお情ない事を仰せられますか。紅矢で御座います。紅矢で御座います。何卒《なにとぞ》一度だけ御眼にかからせて下さいまし。私の妹の濃紅の事で、是非申し上げなければならぬ事が御座いますから」
「濃紅がどうしたというのだ」
「エエッ。最早《もはや》王様は御忘れ遊ばしましたか。彼《か》の御約束を御忘れ遊ばしましたか」
「忘れはせぬ。けれども約束を守るなぞという事は大嫌いになった。昨日《きのう》の王と今日の王は別人だ。そんな約束を守らなくともよい。もしその濃紅姫とやらを后に為《し》たいと思うならば、最前《さっき》国中に布告《ふれ》さした通りに、今日から一週間の後《のち》に、国々の女と一所に宮中へ差し出せ。もし気に入ったら后にしてやる。帰ってその事を妹に知らして、支度をさせておけ。間違うと許さぬぞ。その他に用事は無い。帰れ」
 と世にも無法な言葉です。紅矢は今日まで、両親《ふたおや》よりも、妹共よりも、誰よりも慕わしく懐かしく、天にも地にも二人と無い、慈悲深い気高い王様と思い込んでいたのに、今は鬼よりも無慈悲な、獣《けだもの》よりも賤《いや》しい御心になられて、その声までも虎のように荒々しくなられた事が解かりました。その上に今まで、何よりも楽しみにしていた濃紅姫の事を、王は自分で約束しながら、自分で破って、あられもない国々の賤《いや》しい女共と一所に、一週間の後に御目見得に出せとは、まあ何という浅ましい仰せであろうと、余りの悲しさ情なさに紅矢は前後を忘れてしまって、泣くにも泣かれず、只狂気のように頭の毛を掻《か》きむしりながら、驀然《まっしぐら》に王宮を駈け出ました。

     十三 名馬の蹄音

 紅矢が王宮を駈け出ますと、直ぐに王は又鏡に向って、最前の美留藻《みるも》がお婆さんに化けた後《のち》の有様を見せろと命じました。けれどもまだ鏡に何も映らぬ前に、王は不意に恐ろしい物音を聞きつけて叫びました――
「あれ。あの音は何だ。雷の響か。霰《あられ》の音か。否々《いやいや》。馬の蹄《ひづめ》の音だ。何という高い蹄の音であろう。何という疾《はや》い馬であろう。あれ、王宮の周囲《まわり》を街伝いに、もう一度廻ってしまった。あの馬の騎《の》り手はこの夜更けに何のためにこの王宮のまわりを駈けめぐるのであろう。あんな疾い馬がこの世に在るか知らん。騎《の》り人《て》は俺の知らぬ魔者ではないか知らん。あれ、最早《もう》二度まわってしまった。今度は三度目だ。これ、白銀《しろがね》の鏡。赤鸚鵡。美留藻の行衛《ゆくえ》は最早《もう》見なくともよい。それよりも早くあの馬と、その騎《の》り人《て》を見せてくれ。あれ、もう三度まわった。疾い疾い。何者だ。何者だ」
 と呼吸《いき》は機《はず》ませて尋ねました。この言葉の終らぬうちに、早くも赤鸚鵡の眼から電光のように光りがさして、鏡の表面《おもて》が颯《さっ》と緑色に曇って来ました。そうして又ギラリと晴れ渡ったと思うと、一人の騎馬の少年の姿が現われました。それは最前王宮を出て行った紅矢でした。
 紅矢は今まで親よりも敬って、兄弟よりも親しく思っていた藍丸王が、まるで鬼よりも無慈悲な心になり、虎よりも荒々しい声に変って、その上に今は又、自分の妹の事を露程も思って下さらない事がわかりますと、あまりの事に驚き悲しんで狂気《きちがい》のようになって王宮を駈け出ると直ぐ、そこに繋いでおいたこの国第一の名馬「瞬《またたき》」というのに飛び乗って、手綱《たづな》を執《と》るが早いか馬の横腹を拍車で千切れる程蹴り付けました。すると今まで只の一度も鞭の影さえ見せられた事のない「瞬」は、思いがけない主人の乱暴な乗り方に驚いて、これも夢中になってしまいまして、ヒーンと一声|棹立《さおだ》ちになったと思うと、そのまま一足飛びに駈け出しました。
 けれども紅矢は「瞬」がどんなに驚いて、どんなに疾く駈けているのか気が付きませんでした。只最前の王の荒々しい言葉や声が、まだ聞こえるように思い、又家に帰ってこの事を濃紅姫に話す時の濃紅姫の顔が、今眼に見えるように思って、胸の内は掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》られるようでした。そうしてこのままこの馬と一所に高い崖からでも落ちて死ねばいいと思いながら、両手を手綱から放して、頭の毛を掻き掴んで、星の光りの冴《さ》え渡った空を仰ぎながら、馬の横腹を蹴立て蹴立てて、人通りの無くなった都の街を、滅茶苦茶に走らせました。
 すると馬は益々驚き慌てまして、白泡を噛み立髪を逆立てながら、足を空に揚げて王宮の周囲《まわり》を瞬く間に六七遍ぐるぐるとまわりましたが、七遍目に王城の前の広い通りへ出ますと、そのまま南の宇美足国へ通う街道を一散に駈け下りました。
 紅矢は馬が走れば走る程、気持ちがだんだん晴々《せいせい》して来るようですから、なおも構わずに走らせていますと、その中《うち》に夜が明け離れて、向うに遠く白く光るものが見えて来ました。これは一つの湖で、大層大きい様子ですから、紅矢ははじめて馬を控えて通りがかりのお婆さんに――
「お婆さん。あの湖は何という湖ですか」
 と尋ねました。そのお婆さんは頭巾と覆面で顔をすっかり隠して、片手に短い杖を突き片手に重たい果物の籠を提げて、さも疲れたらしくよぼよぼと歩いていましたが、今紅矢からこう尋ねられると、立ち停まりながらやっとこさと腰を延ばしまして――
「はい。あれは多留美という湖で御座います」
 と教えました。紅矢は思いの外に遠くに来ているのに驚きまして――
「何。あれが多留美という湖かい。これは驚いた。では南の国の都も最早《もはや》遠くないんだ。それではそろそろ引き返そうか」
 と馬の首を引き廻しましたが、又|不図《ふと》このお婆さんが如何にも疲れているのに気が付きまして――
「お婆さんはどこへ行くのですか」
 と尋ねました。そのお婆さんは覆面の下から、しきりに紅矢の様子を見ている様子でしたが、この時さも弱り切ったように溜息《ためいき》をしまして、自分はあの多留美の湖の片傍《かたほと》りに住んでいる者だが、近い内に王様がお后を御迎え遊ばすという事を聞いたから、そのお祝いに自分の家の庭の樹に生《な》った果物を籠に入れて差し上げに行くのだと答えました。これを聞くと紅矢は濃紅姫の事を思い出して、嗚呼《ああ》これをもし自分の妹が受け取るのだったら、どんなにか嬉しい事だろうと胸が一杯になりました。併し今このお婆さんの忠義な心掛けにも大層感心をしまして、いよいよその疲れているのが気の毒になりまして、それでは自分も都からここまで散歩に来たもので、今から引きかえすのだから丁度いい、一所に馬に乗せて宿屋の在る処まで連れて行って上げようと勧めました。お婆さんは頻《しき》りに遠慮をしました。けれどもとうとう紅矢の親切な言葉を断り切れず、鞍の前輪《まえわ》に乗せられて都の方へ連れて行かれました。
 紅矢はお婆さんが眼をまわすといけないと思いまして、わざとそろそろ馬を歩かせましたが、このお婆さんは中々話し上手で、紅矢の顔色の悪いのを見て、いろいろ親切に尋ねましたから、紅矢もうっかり釣り込まれまして、自分の心配の種の濃紅姫の事や、王様の御気性が荒々しくならせられた事、それからあまりの事に驚いて何が何やら解からなくなって、夢中に王宮を飛び出して、無茶苦茶に街中を駈けめぐって
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