事になった。だから今から一週間の内に、東西南北の四ツの国の中《うち》で一番の美しい賢い娘を一人|宛《ずつ》撰《よ》り抜いて御殿まで差し出せ。一週間目の朝、藍丸王様が御自身で御撰みになるから」という事を知らせろとの事でした。
第一の命令は、この都で第一の名高い飾職《かざりや》と宝石|商人《あきんど》とが、大勢の弟子を連れて御殿へ参りまして、その日の内に仕上げてしまいました。それから第二の御布告《おふれ》は銅《あかがね》の板に書きまして、馬乗《うまのり》の上手な四人の兵士に渡して、四方の国々の王宮へ即座に出発させました。
藍丸王は鏡の取り付けが出来上るのを待ちかねて、直ぐに只一人、自分の室《へや》に這入って、入り口の扉の内側からピタリと掛け金をかけました。それから四方の窓をすっかりと締め切って真暗にしてしまいますと、今まで室《へや》の隅の留り木に凝然《じっ》として留っていた赤鸚鵡は、忽ち真赤な光りを放って飛んで来て、王の頭の上に停まりました。そうしてその眼の光りで水底《みずそこ》の鏡の表面《おもて》を照しますと、鏡の表面《おもて》は見る見る緑色に曇って来まして、間もなくその中から美紅《みべに》姫の姿が朦朧《ぼんやり》と現われましたが、見ると今美紅姫は自分の室《へや》に閉じ籠もって、机の上に頬杖を突いて窓の外を見ながら何か恍惚《うっとり》と考えているところでした。この時赤鸚鵡は一声高く叫びました――
「王様。王様。御覧遊ばせ。
美紅の姿。美紅の姿。
紅木の娘。美紅の姿」
王はこれを聞くと莞爾《にっこ》と笑いまして――
「ハハア。これが美紅姫か。成る程、これは美しい利口そうな娘だ」
と申しましたが、その中《うち》に鏡の中の美紅姫がこの方《ほう》を向いて、王の顔をじっと見たと思うと、美紅の室《へや》も机も着ている着物も消え失せてしまって、あとに残った美紅の姿はそっくりそのまま、海の中の藻の林で、美留藻が鏡を覗いているところになりました。この時赤鸚鵡は又も一声高く叫びました――
「王様。王様。御覧遊ばせ。
美留藻の姿。美留藻の姿。
藻取の娘。美留藻の姿」
美留藻は鏡の中から王の姿を見て莞爾《にっこり》と笑いましたが、王もこれを見て莞爾《にっこり》と笑いまして――
「オオ。これが美留藻の姿か。成る程。美紅姫と少しも違わぬわ。してこの美留藻の許嫁となっていた、香潮というのはどんな男であろう」
と身を乗り出しました。すると間もなく美留藻の姿は鏡の表から消え失せまして、今度は醜い、怖《おそ》ろしい、骸骨のような化物の姿が現われました。そこは丁度鏡を取り上げた船の上の景色で、荒れ狂う波の上には、月の光りが物凄く輝いて、化物の姿を照しておりました。
「何だ。これが美留藻の許嫁の香潮という奴か。何という恐ろしい姿であろう。此奴《こいつ》が今に美留藻が俺の后《きさき》になった事を知ったならば、嘸《さぞ》俺を怨む事であろう。成程、これは面白い。赤鸚鵡赤鸚鵡、何卒《どうぞ》して此奴《こいつ》が死なないように考えて話してくれ。そうして俺に刃向って、大騒動を起すようにしてくれ。こんな珍らしい化物を無残無残《むざむざ》と殺しては、面白い話しの種が無くなる。相手に取って不足のない化物だ」
と叫びました。すると赤鸚鵡は静かに答えました――
「はい、畏《かしこ》まりました。もとより御言葉が無くとも香潮の身の上は今に屹度《きっと》そうなって参ります」
この言葉の終るか終らぬに又鏡の中の様子が変って、今度は広い往来が見え初めました。その往来の左右はどこかの青物市場と見えまして、大勢の人々が、新らしい野菜や果物を、忙しそうに売ったり、買ったり、運んだりしています。そこへどう迷ったものか、白髪小僧が遣って来ましたが、見るとこの間の通り顔は焼け爛《ただ》れて、眼も鼻もわからず、身には汚い衣服《きもの》を着て、鈴や月琴を一纏めにして首にかけ、左手には孔《あな》の無い笛を持ち、右手には字の書いてない書物を持っておりました。その姿が珍らしいので、あとから大勢の小供が従《つ》いて来て、石や泥を雨のように投げ附けていますが、白髪小僧は痛くも何ともない様子で、平生《いつも》のようにニコニコ笑いながら、ぼんやり突立って逃げようともせぬ様子です。するとそこへ又一人、手足から顔まで襤褄《ぼろ》で包んだ男が出て来まして、白髪小僧の様子を見て気の毒に思いましたものか、小供を四方に追い散らして白髪小僧の傍へ寄って、手を引いてどこかへ連れて行こうとする様子でしたが、その時どうした途端《はずみ》か顔を包んでいた布《きれ》が取れると、これが彼《か》の半腐れの香潮で、集まっている者は皆その顔付の恐ろしさに、大人も小供も肝を潰して、散り散りに逃げ失せてしまいました。
その間に香潮と白髪小僧が急いでここを立ち去りますと、その後暫くの間は誰一人ここへ出て来るものはありませんでした。
すると不思議にも直ぐに眼の前に並べてある昆布《こんぶ》の籠《かご》の内の一ツが、独《ひと》り手《で》にむくむくと動き出して、やがて横に引っくり返りますと、その中から海に飛び込んで行衛《ゆくえ》知れずになっていた美留藻が、首だけ出しましてじっと周囲《まわり》の様子を見まわしました。見るとそこ等には誰も居《い》ませんで、直ぐ前の横路地に、香潮の姿を見て逃げ出して行った果物屋の婆さんが、逃げかけに打っ棄《ちゃ》って行った灰色の大きなマントと、黒い覆面の付いた茶色の頭巾と、毛皮の手袋と木靴とがありましたから、それを盗んで手早く身に着けて、すっかりお婆さんに化けてしまいました。それから又あたりを見まわして、まだ誰も来ない事がわかりますと、今度は傍にあった果物の籠を抱えて、その中にいろいろの果物を拾い込んで外套の下に隠して、傍に在る金箱《かねばこ》に手をかけようとしました。その時にどうしたものか鏡の表が急に暗くなって、何も見えなくなったと思うと、今まで身動きもせずに王の頭の上に留っていた赤鸚鵡が、何に驚いたか急にバタバタと飛び降り、机の下に隠れてしまいました。
十二 三ツの掟
藍丸王はこれを見ると、急に不機嫌な顔になって、椅子から立ち上りました――
「何だ。何だ。誰かお前の嫌いなものが、扉の外に近づいて来るのか。よしよし。お前はそこに隠れておれ。俺が追い払ってやる」
と云いながら急いで四方の窓を明け放して扉の傍へ来て――
「誰だ。そこに来ているのは」
と云いながら扉を開きました。
外には黄色い着物を着た青眼が、謹しんで敬礼をして立っていました。
「何だ。お前か。そして何の用事があってここへ来たのか。又この間の鸚鵡の時のように、鏡を乃公《おれ》から奪いに来たのか。鏡は最早《もはや》疾《とっ》くの昔に受け取りの儀式を済まして、居間の壁に取り付けてあるぞ。それとも他に用事でもあるのか。早く云え」
と畳みかけて尋ねました。
青眼は静《しずか》に顔を挙げて王の顔を見ましたが、忽ちハラハラと涙を流して申しました――
「嗚呼《ああ》。王様。御察しの通り、私が参りましたのはその鏡の事に就てで御座います。承《うけたまわ》れば王様は、私がお止め申し上げるのも御聴き入れ遊ばさず、あの水底《みずそこ》の白銀《しろがね》の鏡を御取り寄せ遊ばして、御居間に御据え遊ばしたとの事。まあ、何という恐ろしい事を遊ばすので御座いましょう。
この間申し上げた、この国の古い掟を最早《もう》お忘れ遊ばしましたか。
『人の声を盗む者。人の姿を盗む者。人の生き血を盗む者。この三ツは悪魔である。見当り次第に打ち壊せ。打ち殺せ』
只今までこの国に、人の声を盗む鸚鵡という鳥が一匹も居ず、人の姿を盗む鏡というものが一ツも無く、人の生血を盗む蛇というものが一ツも無いのはこの掟があるために人々が……」
「八釜《やかま》しい。黙れ」
と王は烈しく叱り付けました。
「そのような事は貴様から聞かずとも、疾《とっ》くに俺は知っている。俺は今までのように、貴様に欺されてばかりはおらぬぞ。貴様は悪魔でもないものを悪魔と云って、俺を馬鹿にしようとしたのだ。この鸚鵡の御蔭で、俺は居ながらに世界中の声を聞き取る事が出来、又この鏡の御蔭で、俺は世界中の出来事をいつでも見る事が出来るのだぞ。この二ツのものがある御蔭で、俺は世界一の賢い者になったのだぞ。それに貴様はこの重宝な宝物を無理に俺から取り上げて、俺を王宮の中に睡むらせて、世界一の馬鹿者にしようとする。貴様はこの国第一の不忠者だぞ。貴様、よく考えて見ろ。何にも知らぬ世界一の馬鹿が王様になっているがいいか。それとも何でも知らぬという事は一ツも無い、世界一の賢い者が王様になっているがいいか。どっちがいいか」
「はい。それは賢こいお方が王様になっておいでになる方が、この国の仕合わせで御座います」
「それ見ろ。それに貴様は何のためにこの俺を、何にも知らぬ馬鹿者にしようとしたのか。何のために鸚鵡や鏡を王宮に入れまいとするのか」
「噫《ああ》、王様。それは御無理と申すもので御座います。王様はそんな鏡や鸚鵡をお使い遊ばさずとも、旧来《もと》から御賢こい有り難い王様でいらせられるので御座います。それにその鏡や鸚鵡が参りましてからは、王様の御眼を眩まし御耳を聾《し》いさせて……」
「黙れ。黙れ。この二ツのものは、今まで一度も俺を欺いた事はないのだぞ。それにこの二ツの物を悪魔だなぞと、無礼者|奴《め》が。何を証拠にこの二つが悪魔だと云うのだ。その証拠を見せろ」
「その証拠は昔から申し伝えて御座りまする、この三ツの掟が何よりの証拠……」
「アハハハハ」
と王は不意に高らかに笑い出しました。そうして意地の悪い眼付で青眼の顔を見つめながら尋ねました――
「その掟は誰が作ったのだ」
「ハイ。それは私の先祖の矢張《やっぱ》り青眼と申す者が、申し残しておるので御座います」
「ウム、そうか。してその先祖はなぜこの三ツのものを悪魔だと定《き》めたのか。この三ツのものを悪魔と定《き》めるには何か深い仔細《わけ》があるのか。仔細《わけ》が無くて、只無暗にこのような重宝なものを悪魔だと定《さだ》めるわけはあるまい。その仔細《わけ》を云え」
この藍丸王の言葉を聞くと青眼はどうした訳か急に真青になって、唇までも見る見るうちに血の色が失せてしまいました。そうしてそれと一緒に手足をぶるぶると震わせながら、返事も何も出来なくなって、只その青い眼を一層まん丸く見張って、王の顔を見つめておりました。この様子を見ると王は益々|勢《いきおい》込んで青眼の前に一歩《ひとあし》進み寄りながら、一層厳格な顔をして睨《にら》み付けて申しました――
「これ、青眼。貴様はなぜ返事を仕《し》ないのだ。なぜその証拠が云われぬのだ。さ、その証拠を云え。その仔細《わけ》を云え。なぜその三ツの者が悪魔なのだ。なぜこの鏡と鸚鵡が悪魔の片われなのだ。貴様は今まで何一ツとして俺に隠した事はないではないか。云え。云え。その三ツの掟の出来た訳を云え」
と王は如何にも言葉鋭く詰め寄りました。けれども青眼先生は王の勢《いきおい》が烈しくなればなる程縮み上って、ふるえ方が烈しくなって、今は立っている事が出来ず、床の上にペタリと座り込んでしまいました。王はじっとその有様を見ておりましたが、なおも厳《おご》そかな口調で責めました――
「青眼。これ、青眼。貴様はなぜそのように恐れるのだ。なぜそのように顫《ふる》えるのだ。なぜその仔細《わけ》を俺に隠すのだ。一体貴様の為《す》る事は俺にはちっとも訳が解からぬぞ。この間のように見もせぬ夢を見たろう等と尋ねたり、又はこのような重宝なものを俺から奪い取って、罪も無い鸚鵡を殺そうとしたり、又は大勢の者が生命《いのち》を棄てて拾い上げてくれたこの貴い鏡を打ち壊そうとする。俺にとってはこれ位有り難い貴い重宝な宝物《ほうもつ》は無いのだぞ。それをなぜ貴様はそのように悪《にく》むのだ。そうしてその仔細を云えと云えばそのように青くなって顫《ふる》え上ってしまう。一体
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