の時は妾はすっかり美留藻の心になり切っておりましたから、少しも疑わず恐れずに、美留藻そのままの仕事を続けました。
 妾はこの時美紅姫と紅矢様が、鉄と氷の二ツの死骸になってしまったのを見て、すっかり安心をしまして、この塩梅ならば紅木大臣を初め家の者は明日《あす》のお目見得に来ないであろう。そうすれば自分を見咎めるものは一人もあるまいから、安心して女王になる事が出来る。それからあとは青眼先生――貴方をどうかして罪に落して亡《な》い者にし、又濃紅姫を無理にも宮中に止めて殺してしまえば、あとは一生安心と、こう思って紅木大臣の家を脱け出ました。そうして大急ぎで宮中に駈け付けて、お眼見得の式に間に合いました。そのあとは御存じの通り首尾よく女王になり済まして、濃紅姫を宮女にしました。そうして……そうして……」
 と云う中《うち》に女王は急に床の上に突伏してワッとばかりに泣き出しました。
 今まで固くなって身構えをしていた青眼先生は、これを見ると慌てて跪《ひざまず》いて、女王の手を取って引き起しました。そうして声を震わせながら――
「お泣き遊ばしてはわかりませぬ。それから……それからどうなされました」
 と女王の顔を覗き込んで尋ねました。
 するとこの時女王は急によろよろと立ち上りましたが、忽ち身を寝台《ねだい》の上に投げかけて泣き叫びました――
「許して下さい、お姉様。貴女《あなた》を殺したのは四人の女では御座いませぬ。妾で御座います。美留藻の美紅で御座います。昨夜まで美留藻であった妾は貴女が憎くて堪らずに、宝蛇を使って貴女の血を吸わせました。そうして……そうして……今朝《けさ》……紅玉《ルビー》に埋まった貴女を見た時……その時の悲しさ恐ろしさ……。噫《ああ》。妾は美留藻でしょうか。美紅でしょうか。噫。お父様。お母様。許して下さい。妾は兄様を殺し……姉様を殺しました。そうして妾は何故……何故死なぬのでしょう。噫、恐ろしい。情ない。死にたい死にたい。お姉様と一所に死にたい」
 と死骸に縋り付いて、消え入らんばかりに泣き狂うて叫びました。
 これを見た青眼先生の眼からは、忽ち涙がハラハラと溢《あふ》れ落ちました。そうして慌てて走り寄って、女王を抱き除《の》けながら――
「女王様。気をお静かに。お静かに。女王様は美紅姫で入《い》らせられます。今は御心も御|身体《からだ》も、美紅姫で入らせられます。貴女のお家に災《わざわい》を致しましたのは……お兄様やお姉様を殺しましたのは、今氷になっているあの美留藻の魂が、貴女に乗り移って為《し》た事……」
 と申しましたが、その言葉のまだ終るか終らぬかに、雷が落ちたような声を立ててこの室《へや》に飛び込んで来て、二人を左右に突き飛ばした者がありました。それは紅木大臣でした。それと見ると女王はよろめき倒れた身を起して――
「あれ。お父様」
 と一声高く叫びながら駈け寄ろうとしましたが、紅木大臣の見幕があまり恐ろしいので、思わずハッと踏み止まりました。そうしてワナワナ震えながら――
「オ……お父様……お父……様……」
 と云う中《うち》に次第にあと退りをして、一方の壁に倚《よ》りかかって身体《からだ》を支えました。青眼先生も紅木大臣の見幕に驚いて、床の上に尻餅を突いたまま、呆気《あっけ》に取られて大臣の顔を見詰めておりました。
 紅木大臣はその間につかつかと寝台《ねだい》に近寄って、白布《しろぬの》を取り除《の》けました。その下には髪毛から首のあたり――胸から爪先へかけて、一面に紅玉《ルビー》に包まれて、臘《ろう》のように血の気を失った濃紅姫の死骸が仰向けに横たわっております。
 それをじっと見ていた紅木大臣の髪毛は、見る見る中《うち》に皆逆さに立ちました。顔色は真青になって、眼は火のように血走りました。そうして歯をギリギリと噛み鳴らし、身体《からだ》をワナワナと震わせながら、剣の柄を砕くるばかりに握り締めて、屹《きっ》と女王の顔を睨み付けましたが、やがて火を吐くような声で罵《ののし》りました。
「悪魔。悪魔。貴様は美紅ではない。女王ではない。又美留藻とかいう者でも何でもない。美紅を身代りとして青眼先生に殺させ、その次には紅矢を殺し、今は又この濃紅を殺して、この国の女王の位を奪おうとする悪魔。悪魔。大悪魔だ。根も葉もない作り事をして、美紅に化けて欺こうとしても、この紅木大臣は欺されぬぞ。その化けの皮を引ん剥《む》いてくれる。吾が児の讐《かたき》覚悟しろ」
 その声は暴風のように室の中を渦巻きました。
 そうして一歩退ってギラリと剣を引き抜いたと思うと、女王に飛びかかろうとしましたが、彼《か》の時早くこの時遅く、青眼先生がうしろからしっかりと抱き止めました。すると紅木大臣は歯噛みをして――
「エエッ、放せ。放さぬか。
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