帰り途に押しかけて、出会い頭に馬を乗りかけて怪我をさせましたので、妾はその死骸を先生の御門の処まで持って来て、放り出して逃げて行ったので御座います。
 妾はそれから又もや紅木大臣のお邸敷《やしき》へ、騒ぎに紛れて忍び入って、美紅姫の室《へや》に這入りました。見ると美紅姫はどうした訳か、気絶して床の上に倒れたまま、誰も気付かずにおります。妾はよい都合と喜びまして、兼《か》ねてから髪毛《かみ》の中に隠しておいた宝蛇を、美紅姫の懐に押し込みました。これが今のように、美紅と美留藻と一所になってわからなくなるはじめとは、その時夢にも思い当りませんでした。
 宝蛇が美紅姫の胸から血を吸い初めますと、不思議や妾は自分の身体《からだ》の血が消え失せるように思いまして、急に眼が眩んで立っている事が出来ずに、床の上にたおれました。
 妾はその時夢中になって藻掻きました。そして自分が宝蛇に噛まれて血を吸われていると思いましたから、一生懸命になって自分の胸を掻きまわして、掴み散らしますと、やがて急に胸の苦しみが除《と》れてしまいましたから、ほっと一息安心をしました。が、それと一所にやっと正気になりましたから、眼を開《あ》いてあたりを見まわしますと……どうでしょう。最前お話しました時とは反対に、妾はいつの間にか美紅姫が今まで着ていた寝巻と着かえて、片手に宝蛇をしっかりと握って床の上に寝ております。そして直ぐ傍には妾そっくりの男の姿をした女が、あおむけにたおれているでは御座いませぬか。妾は驚きの余り思わず立ち上りました。するとそれと一所に妾の懐から一掴みの紅玉《ルビー》の粒がバラバラと床の上に落ちました。
 その時の妾の心地――それは最前妾が美紅としてお話し致しました時と少しもかわりませぬ。全く妾は美紅か美留藻か自分でわからなくなりました。妾が誰を殺そうと思って宝蛇に血を吸わせたのか、それすらわからなくなりました。今の様子では自分を殺すために自分の胸に宝蛇の牙《きば》を当てがったとしか思われませぬ。妾はあまりの不思議にぼんやりとして、眼の前に横たわっている男の姿の自分そっくりの娘を見詰めたまま突立っておりました。
 けれども暫くしてから、妾はやっと気を落ち付けて考える事が出来ました。これは屹度悪魔の仕業に違いない。何故かと云えば、美紅姫も妾も二人共同じ夢を見て、同じ悪魔の話を聞いたに違いないのだから、二人共悪魔に魅入られているにきまっている。そうして鏡だの、蛇だの、鸚鵡だのを妾の方が先に見たから、悪魔が妾の方に加勢して、妾に知恵を授けているのに違いない。妾に美紅姫に化けよと教えるのに違いない。屹度そうだと思いますと、妾は最早《もはや》すっかり疑いが晴れました。妾は矢張《やっぱり》美留藻であった。行く末は、この国の女王になる美留藻であった。こう思って妾は最早《もはや》女王になったように喜び勇みました。そうして直ぐにたおれている美紅姫の懐を探って、兼ねてから隠しておきました青眼先生の眠り薬を取り出して、美紅姫に嗅がせまして、そのまま戸棚の中に押し隠しました。こうして妾はいよいよお目見得の式の朝になった時、着物を取り換えて自分の代りに本当の美紅姫を寝台《ねだい》に寝せて逃げて行くつもりでした。そして昼の間は妾は室《へや》に閉じ籠もって、成るたけ家の人にも姿を見せぬようにして、真夜中になってから起き上って、薬のために眠っている美紅姫の着物と着換えては、窓から飛び出して悪い事を致しました。
 妾はこの時自分で自分の智恵に感心をしておりました。こうすれば妾はいつ家《うち》の人に見咎《みとが》められても美紅としか見えませぬ。けれども一番おしまいの晩にとうとう貴方――青眼先生に見付けられてしまいました。
 あの時妾は、紅矢様を苦しめに行きましたが、折角歌で誘い出した貴方が、引き返してお出でになる様子ですから、急いで自分の室に帰ろうとしましたが、その時妾があまり急いで紅矢様の身体《からだ》から蛇を引き放しましたために、紅矢様は眼をさまして、妾を見るといきなり飛び付いて、左手で妾の胸の鈕を掴みました。今でも紅矢様の掌《て》の中には一ツの大きな金剛石《ダイヤモンド》を握っておいでになるに違いありませぬ。妾はそれを振り千切って逃げて帰って、知らぬ顔をして寝ておりました。それを貴方に見付けられたので御座います。妾が貴方から氷の薬を注ぎかけられました時、妾はもう助からぬと思いました。けれども一旦気絶して、たおれて又気が付きますと、どうでしょう、妾はいつの間にか戸棚の中に、男の服を着て立っていたので御座います。
 この時もし妾に今までの美紅の心が少しでも残っていたらば、妾は女王にはならなかったで御座いましょう。こんな恐ろしい悲しい思いを為《せ》ずとも済んだで御座いましょう。けれどもこ
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