のでない。却《かえっ》て東京の文化の滅亡頽廃を表明しているものであることを。
「東京人の堕落時代」の一篇を読んだ人々は、この意味を正しく理解されたことであろうと信ずる。そうして、東京人の堕落がどんな色彩と傾向を帯びて移りかわっているかという事を、多少に拘らず知り得たであろうと思う。

     東京の名に於て踏み潰された日本の面目

 明治維新後六十年に近く、日の丸の旗の下に、あれだけの犠牲と努力とを払って築き上げられた、吾が大和民族の文化の中心は、一朝の地震で「ゼロ」にまでたたき潰されてしまった。あとには唯浅ましい本能だけが生き残って、大正十三年以降の大堕落時代を作ったのであった。
 これは日本人として――殊に文化という事に就て考える人達が、特にその眼を見開いて、徹底的に観察せねばならぬ大きな出来事であろうと思う。
 大正十二年の夏まで、日本を背負って立つ意気を示しているかのように見えた江戸ッ子の、現在の屁古垂《へこた》れ加減を見よ。
 そうして、これに取って代った新東京人の風俗のだらし[#「だらし」に傍点]なさ加減を見よ。
 その武威に、その文化に、東洋の新興民族として、全世界の眼を瞭《みは》らした日本人の化の皮は、その首都の名に於て、美事に引っ剥がされてしまったのであった。
 彼等東京人の云う忠君愛国、勤倹尚武、仁義道徳は皆虚偽であった。
 彼等東京人の持つ外国文化の驚くべき吸収力、その不可思議な消化力、並びにその文化方面の宣伝力……それ等は只一時の上辷りのカブレに過ぎなかった。
 彼等東京人は文化民族としての日本人の価値を、真実の意味で代表していたものではなかった。
 彼等東京人が真実に模倣し得るものは、只外国文化の堕落した方面のみであった。彼等が本当に持っているものは、唯浅ましい本能だけであった。
 東京人は、日本中で先登《せんとう》第一に、アメリカ魂、イギリス魂、独逸《ドイツ》魂、ロシア魂のすべてにカブレて、そのどれにもなり得なかった。只、大和魂をなくしただけであった。そうしてそのあとに、浅薄な意味の文化的プライドに包まれた、低級な本能だけを保有しているに過ぎなかった。だからイザとなると、今までのプライドをなくしてしまって、禽獣の真似をして恥じないのであった。
 ――新しい東京の女の美しさは鳥の美しさである。その無自覚さと口巧者《くちこうしゃ》さは、鳥の無自覚と口巧者そっくりである――。
 ――新しい東京の男のエラサは獣《けもの》のエラサである。その無作法さ、図々しさは、獣《けもの》の不作法さ、図々しさと撰ぶところない――。
 これは記者が作った形容詞ではない。東京人が実地にやって見せている実況である。
 一切の説明を超越した「事実」である。
 この事を報道し、且つ警告したいために、記者はこの筆を執った。
 地方の人々は考えて頂きたい。
 特に東京を吾が日本民族のすべての中心とあおぐ大人諸氏、及び「東京に行きたい東京に行きたい」とあこがれ望む地方の若い人々は、今一度考え直して頂きたい。
 諸君は何故にそんなに東京を尊敬されるか。東京のどこにそんな価値を認められるか。
 東京は事務を執りに行く処という。しかし厳密に云えば、東京は事務を堕落させに行く処と断定すべきである。
 地方から起った神聖な精神的運動、又は真剣な殖産興業等の事業は、それ等が土地で企画されているうちは、まことに真剣で且つ純真であるが、一度東京に持ち込まれると、忽ちその真剣味が抜き取られて、空虚な、不真面目な、汚らわしいものと化せられてしまう。
 東京には、地方から上って来る純真なもの、生き生きしたもの、又は充実したものを取って喰う商売人が、お互に爪を研ぎ、牙を磨いて、雲霞の如く待ち構えている。否、「東京」は、そのような無残なもののすべてを人格化した「悪魔」の別名である。
 地方から上京した真剣な事業や運動が、東京と名乗る悪魔の乾児《こぶん》たる横道政治家の金儲けの種、高等遊民の飯喰い種として、片っ端から犠牲とされ、腐敗堕落させられて行く有様は、恰も地方から上京する青年処女の純真な志が、東京に入ると忽ち不浄化され、頽廃化させられてしまうのと同様である。否、すべての事は、東京に入って堕落させられなければ、本場を踏んだと云われない。東京の「腐敗」そのもの以上に「腐敗」しなければ、日本第一流と云われないとさえ考えられる。

     日本人に対する東京の不浄な使命

 茲《ここ》に於て、東京の所謂「生存競争」なるものは、事実上、「腐敗堕落競争」である事が容易《たやす》く理解されるであろう。
 学問とても同様である。地方の少年少女は東京を学問の府としてあこがれている。しかし、東京の学校のどこに、地方の学校のような純真なる風が認められるか。
 この事を詳しく説明すると限りもないが、多少脱線の嫌いがあるから略するとして、要するに東京は、学者として、又は学生として摺《す》れっ枯《か》らしに行く処である。もしくはいろんな風潮にカブレて、自分の学問の根底を握る精神力を空《から》っぽにしに行く処である。少くとも東京の学校の学生と教師は、日本を指導する意気はない。学者も学生も、唯、自分の地位や飯喰い種に、学問を売り買いしているとしか見えないのである。
 重ねて云う。
 東京は日本のすべての文化の中心機関の在る処と認められている。
 東京というボイラーに投げ込まれて初めて、石炭は火となり、水は水蒸気となるが如くに考えられているが、これは大変な感違いである。
 東京は、地方に芽ざした聖い仕事の種子を積上げて、腐らして、あらゆる不良政治家、不良事業家、不良学者、不良老年、不良少年少女の根を肥やすための大堆肥場である。そのためにあれだけ大きな家が並び、あれだけの砂ほこりが立ち、あれだけの電燈が輝いているのである。その中に身も心も投げ込んで、腐れ爛れて行く自己を楽しむべく、人々は東京へゆくのである。
 そのほかに東京に何の用があるであろうか。
 静かに胸へ手を置いて考えて頂きたい。
 東京は旧時代の産物たる科学文明に依て築かれた都である。
 科学文明の都市――折角《せっかく》向上しかけた人類の精神文化の象徴たる宗教――道徳を数字攻めにして責め殺し、芸術をお金攻め、実用攻めにして堕落させて、精神美を無価値なものにして、物質美を万能にして、遂に文化的に禽獣の真似をするよりほかに楽しみを持たぬ程度にまで落ちぶれ果てた人類――その真似をするのは無上の光栄と心得る、日本人の中での罰当りが寄り集《たか》る処――それが東京である。
 数字とお金とで動かせる死んだ魂の市場――それが東京である。
 智識と才能と人格の切り売りどころ――それが東京である。
 たとえば……。

     東京に欺かるるな、何物をも与えるな

 大きな立派な人間が仕立卸しのハイカラな服を着て、表情沢山の誇張だらけで地方の人々を手招きしている。彼もしくは彼女の機智頓才、魅力弁力、その衒学的の博引広証、いずれも一時的に人を煙に捲くに足る。
 しかもその腹を割れば、何等の理想も主義もない。只、金と獣欲ばかりである。一朝事があれば、彼もしくは彼女は畜生のように、又は餓鬼のように昏迷して地面《じびた》を這いまわる。そうして一朝事が無くなると、又澄まして文化面をして田舎者を馬鹿にする。
 そんな人間を「東京」と名づけるとすれば、諸君は果して尊敬するであろうか。諸君はこんな人間を吾が大和民族の代表者として許すであろうか。
 序の事に、今一つの方面から東京を批判させて頂きたい。
 従来、日本の首都(都会と云いたいが、ここでは取り敢ず首都だけに就いて考えたい。無論、都会という意味に取られても構わないが)は、吾が日本民族に対してどんな仕事をしたか。
 奈良でも、大阪でも、京都でも、又は今の東京でも、皆日本民族のブル思想の反映に過ぎなかった。地位、名誉、傲奢の府として、地方に悪感化を及ぼす使命しか持たなかった。
 これに憤慨して起った地方的勢力も、一度時を得て都に入ると、すぐに堕落してブル政治を施し、ブル生活を壟断《ろうだん》して、自分の一族一派以外のものを賤民扱いにした。
 源の頼朝は極度にこれを嫌った。
 京都を離れた鎌倉に幕府を開いたところに、この首都のブル式悪感化を避けた用意が見える。戦功に傲《おご》ってブル化しようとした義仲、義経を片っ端から殺してしまった。範頼もとやかく攻め亡ぼした。そこに頼朝の生真面目な性格がほの見える。彼のブル嫌い、都会嫌いの気持ちがあらわれている。
 しかし、実朝に到って、源氏のブル化が次第に濃厚になって、遂に北条に亡ぼされた。
 北条氏は頼朝の遺志を最もよく理解して、殆ど極端なプロ式武人政治を行った。しかし、高時に到ってブル化して亡びた。
 それから後は、ブルに代るにブルを以てしたのみで、明治に入っては薩長土肥のブル思想は東京を濃厚に彩り、遂に今日に及んだものである。
 彼等藩閥は初め、徳川のブル的腐敗を憎んで起った、地方的の勢力であった。「王政維新」なる標語の中には、そのような地方的勢力が懐抱する真実さが、底知れぬ程満ち溢れていた。
 しかし、一度首都の地を踏むと、それ等の勢力の純真さ、熱烈さは、いつとなく方便化され、御都合化されて、結局、ブル生活の根底を培う腐土と化し去ったのである。
 茲《ここ》に於て読者は理解されるであろう。
 日本の生命は首都には無くて、地方に在る。すべての地方の純美さ、真面目さが、日本の命脈を精神的にも物質的にも支持しているので、東京が日本を支持しているのでは決してない。
 江戸の昔、或る有名な侠客は、ボロボロの百姓おやじに訪問を受けた時、わざわざ土間に降りて、低頭平身して挨拶をした。
「私どもは娑婆のアブク銭を掴んで喰う罰当りで御座います。お百姓様のような、正真正銘の仕事をするお方の上手に座るような身分のものでは御座いません」
 というのがその趣旨であった。
 当局の農村振興宣伝と間違えてはいけない。それとこれとは意味がまるで違う。都会に住む、手の白い役人や学者が、日給を貰って名文に綴り上げて、メガホンで吹き散らすお役目物の宣伝と、この侠客の態度とは、その真実味に於て、鉄の弾丸と風船玉ほどの違いがある。
 吾々日本人は、この博徒の一親分の言葉に依って自覚せねばならぬ。同時に、地方の自然を相手に稼ぐ労働者諸君は、この言葉に依って覚醒せねばならぬ。
 吾々地方人は東京に何物をも与えてならぬ。東京が如何に巧言令色を以て吾々を招くとも、これに眩惑されてはならぬ。東京の中で最も美しく、大きく、貴《たっと》く見えるものでも、地方人の額の汗の一粒に及ばぬ事を知らねばならぬ。
 現在|擡頭《たいとう》しつつある無産階級の運動でもそうである。それが都会人、殊に東京人の指導下にある間は、将来、結局無価値なものとなりはしまいかと憂慮される余地が十分にある。
 同時に、それ等の無産階級の人々が目標とし、規準とする生活が、東京人の生活と同様の意味の文化生活を夢見るものであったならば、それ等の人々の覚醒と運動とは、将来に於て無価値のものとなり終るべき可能性を、充分に持っていはしまいかと疑い得られるのである。

     口も筆も不調法な地方の若い人の自覚の力

 さなきだに、毒々しい薄っぺらな都会の文化は全人類に飽かれつつある。反対に、ジミな、精神の籠もった地方色や、真剣な個性に依って作り上げられた農民文化が尊重される傾向が出来つつある。そうして、その個性や地方色を集めたものを民族性と名づけ、その民族性に依って荘厳された文化を人類文化と称える、そこに個性と人類性との共鳴があり、そこに民族の自由解放の真意義がある――というような説が次第に高まりつつある形勢である。
 吾が大和民族は一民族を以て一国家を形成している。すくなくとも欧米各国のように雑然たるものでない。そこに吾が民族性の強みがあり、そこに吾国の地方色の真実味が生れ、そこに洗練された吾が国民の個性の貴重さと偉大さが表現されなければならぬ
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