から十分以内にお金を渡して下さい。そうしないと、僕は打たれた上に監獄部屋(北海道の)に売られます云々」
というような手紙を渡して、時計をジッと見つめている。
家庭でもあとはあとの事として、金を遣らないわけに行かぬ。
そもそもの原因は、その被害少年の心得違いである事無論であるが、活動を見に遣る家庭でもよほど注意せねばならぬ。
連れにはぐれた少女
連れにはぐれた少女もよくこの手でやられる。
「僕は少年団の者ですが、あなたのお連れがあそこで待っておいでです」
なぞと云いながら、つまらない徽章を出して見せる。
「まあ、有難う御座います」
と感謝して随《つ》いて来る少女を、うまく不良事務所へ連れ込むのであるが、少女の場合は少年のと違って、第一に着物に眼をつける。その次が手紙である。
「こちらが今から二時間以内に電話をかけなければ妾は汚されます。
午後何時 何子より」
以前では、そんな手紙を書かせて金を受け取りながらも、その少女を傷物にして返したものだそうだが、今はそうでもないという。不良の仕事が文化的になった事はこのようなところからも覗《うかが》われる。
同時に彼等のプライドも高くなったし、要求の金高も多額になった。やり口もこれに随《したが》って冴えて来たという。
こんな風に発達しておったら、米国式の黒手《ブラックハンド》が出来るのも遠くあるまい。
「他人の親切を無暗《むやみ》に受けるな。連れにはぐれたら、すぐに自宅へ帰れ」
という注意を、これからの活動を見に行く少女にくれぐれ云いきかせてもらいたいと或る刑事は云った。
最後に、彼等の中で下等なのになると、公園内の悪少年《チンピラ》を使って物を掻っ払わせて、喰物やお金と取換えてやるのがある。
ところで面白いのはこの浅草のチンピラである。
浅草公園内のチンピラ
浅草公園内のチンピラは一種独特のものである。ユーゴーの小説に、「町の子」と名づけられた宿なし少年が出て来るが、あんなたちのもので、九段下の公園、芝の増上寺、それから昔の新橋(今の汐留)駅前の塵埃溜場《ごみためば》なぞによく居た。
まだほかにも居たであろうが記憶しない。その中でも浅草のが一番眼に立つし、多くもあるので、よく人が気が付いている。要するに大東京の産物――否、大都会特有のもので、自身、不良だか何だか……人間の子だという事すら知っているかどうかわからぬ、一種の不良少年である。
浅草にはよく大人の浮浪人で、一名立ちん坊というのがウロウロしているが、そんなのの子かも知れぬ。又は乞食に拾われた捨子の成り上り、置いてけぼりを喰った私生児、迷児の拾い落しなぞもあろう。
この浅草公園内のチンピラが、いつも四五十人位の範囲で殖えもしなければ、又減りもしない事が、又一つの不思議である。ずっと以前からそれ位居たのであるが、震災当時行って見ると、三四人残って池の中に石を投げ込んでいた。それが今度行って象潟《きさかた》署で聴いて見ると、矢張り四五十人居るという。
不思議といえば不思議であるが、よく調べて見ると成程と思わせられる。
チンピラの生活
このようなチンピラは、親兄弟、身よりたよりは勿論、家も無ければ、名前も持たぬ。友達同志でつけ合った綽名《あだな》をそのまま自分の名前にしている。着物は大抵夏冬通しの一枚で、裾《すそ》は膝限りの両袖無しなぞが居る。頭を苅っているのは不良少年の世話だという人もいるが判然しない。片チンバのゴム靴を穿いたり、学校帽の古いのを冠っているのもある。
彼等は方々の料理屋のゴミ溜めを漁ったり、掻《か》っ浚《さら》ったりして喰っている。浅草公園界隈には、丁度彼等四五十人を養うだけの残物が年中ある訳で、彼等の人数が殖えも減りもしないのは、そんな原因からに相違ないと見られている。
寝る処は軒の下や木の蔭、石段の上なぞで、大抵仲間と背中をくっ付け合っている。冬なぞは寒さにふるえて泣いているのがあるという。
天気のいい日で、お腹の空かない奴は、弁天山付近に集まって石蹴りなぞをして遊んでいる。そんなのをジッと見ていると、たまらなく可愛相になる。
彼等の嗜好は云う迄もなく菓子で、朝飯だの晩めしだのというものはまるで知らないのが多い。鳥獣と同様である。
彼等の遊んでいるのを見ると、いろんな面白い事が発見されると、古くから公園に居る巡査さんは云う。
彼等の中で背丈けの高いもの、力の強いもの、掻っ浚いの上手なもの、物真似、悪口、流行歌の上手なものは幅が利く。巡査と口を利いたもの、雷門の大提灯の骨の数(以下数字分脱落)、震災前の十二階を見たことがあるものも尊敬される。頭のうしろに大きな禿《はげ》のある一人は、オジイと呼ばれて矢張り畏敬されているという。
彼等はおしまいにどうなるのでしょうと、その巡査に尋ねたら、
「さあ、よくわかりません。誘拐されて……と云っても、別に誘拐という程の意味もありませんが、つまり拾われて、労働者や乞食の手伝いになるか、顔立ちのいい物は見世物師に連れて行かれるなぞは出世の方でしょう。それもタマにあるので、大抵は立ちん坊か乞食にでもなるのでしょう。病気で死ぬのは滅多にありませんが……」
と淋しく笑った。
人間苦を知らぬ哀れ
浅草公園内のチンピラは、よく不良少年の手先になって手紙なぞのお使いに遣られる。
しかし彼等は頭が単純だから、複雑な用事は出来ない。お使いの出来る範囲も大抵は浅草界隈に限られているので、遠方でもお使賃《つかいちん》欲しさに頼まれはするが、当てにならぬという。又、彼等は割りに正直で、何でも包み隠しをしないのが多いので、返事の要る手紙なぞを持たせると危険だそうである。
彼等は又、醜業婦とその情夫の間の文使《ふみづかい》もやる。こっちは不良少年のようにスッポカシを喰わするような事はなく、きっといいお使賃を呉れるので、彼等はどこの伯母さん、ここの伯父さんと尊敬している。
彼等の言葉は立ちん坊と同様に、最下等の江戸弁を今一つ下等にして、おまけに恐ろしく略した早口で云う。生え抜きの江戸ッ子でもわからない位であるが、醜業婦や女給はそれらをよく聞きわけて、彼等にわかるように云い聞かせるから、割りに面倒な用事が頼めるという。その代りその女たちの雇い主に発見されると、思い切り非道《ひど》い眼に合わされる。
その又《また》返報には、綽名を付けたり、汚物を入口にぬすくったり、小便を引っかけたりするという。勿論、いいも悪いもわからない。
彼等はこうして浅草公園内を全世界として、何の苦もなく、喰い且つ遊んでいる。そうして物心が付いて人間世界のわびしさを知る頃になると、何処へともなく消えて行く。
彼等の生涯は影のように無意味である。彼等の魂は天使のように悪を知らぬ。
あらゆる人間苦を集めた大都会の寂しい反映でなくて何であろう。
享楽の浅草の中心に沁み出た、はかない哀愁の影でなくて何であろう。
鳥打と中折れ
昨年の十月の或る日の正午――。
雨上りの青空が浅草観音堂の上一面にピカピカと光っていた。
瓜生岩子《うりゅういわこ》の銅像の横のベンチに、青い派手な鳥打帽と、黒のジミな中折れ帽が腰をかけていた。黒の中折れは何か気味悪そうに青い鳥打の話をきいていた。二人共まだ若かった。
記者はその横に腰をかけて、懐中からノートを出して何やら書いていた。
青い鳥打帽が二三度話をやめて記者をジッと見ていたが、突然声をかけた。
「オイ、オトッツァン。済まないが退《ど》いてくんないか。こちらの話の邪魔になるから」
記者はドキンとして顔をツルリと撫でた……風邪が抜けないので鬚蓬々《ひげぼうぼう》としていた。次に帽子を冠り直した……古ぼけた茶の中折れであった。おとっつぁんと呼ばれても文句は云えなかった。
記者は眼をパチパチした。
何だか可笑《おか》しくなりながら、相手の鳥打帽の下にキラキラ光る二つの眼を見た。虚勢を張っていたせいか、その光りがだんだん怖くなった。記者は静かに帽子を脱いで、わざと福岡弁で云った。
「共同椅子だすけん……よござっしょうもん」
鳥打は意味がわかったらしく、青い顔をサッと青くしたようであった。黒い中折れをふり返って云った。
「君はいいから行き給え」
黒い中折れはペコペコお辞儀をして去った。あとを見送った青い鳥打は記者の方を向いた。
「おめえ、東京初めてか」
「……ヘエ……」
「こっちへ来い」
記者は随《つ》いて行った。
鳥打帽は馬道へ出た。交番の前で又記者をふり返ってギョロリと見た……それからがよくわからないが、焼け木の積んである横路地を二つ三つ抜けて、夕顔を絡ませた新しい板塀にぶつかった。その横の切り戸を開いて、又、横路地のような処をすこし行くと、長屋式の板壁の途中に小格子がたった一つあった。そこを開くとすぐ狭い梯子段で、それを上って洋式のドアーを開くと……。
意外にも立派なカフェーの二階に出た。前はどこか知らぬがかなり賑やかな通りである。
鳥打はインバネスを脱いで、帽子と一緒に壁にかけた。記者もその真似をした。
二人は卓子《テーブル》を隔てて差向った。
擬《まが》い大島を着た二十ばかりの美青年である。「案外若い」と記者は心の中で驚いた。
何も云わぬのに美しい女給が珈琲を二ツ持って来た。
青年は飲んだ。
記者は飲まずに云った。
「何か御用で……」
青年は飲みさした茶碗をしずかに置いた。片手を懐にして肩を聳《そび》やかした。
「先刻《さっき》のノートを出し給え」
記者は又可笑しくなった。彼等の話を書き止めていたと思っているらしかったから……。
しかし記者は素直にノートを渡した。
青年は、「籠の鳥」の歌や看板の珍文句なぞを、たった二三枚だけ書いた本社用の新しいノートを見ていた。最後に表紙に付いた本社のマークをジッと見詰めて、当惑した表情をした。そうしてしきりに襟元を繕《つくろ》った。
記者はもう大丈夫だろうと思った。思い切って微笑しながら云った。
「失敬ですが、君は不良青年でしょう」
青年はハッとした。記者の顔をギラギラ睨みながら真青になった。
記者の胸の動悸が急に高くなって、又次第に静まって来た。同時に自分でも気障《きざ》に思われる微笑が腹の底からコミ上げて来た。
「僕はソノ……地方新聞の記者なんですがネ。不意にこんな事を云い出して失敬ですが……浅草の話を探りに来たんですが……生憎《あいにく》知り合いが無いんで……誰かこの辺の裡面を御存知の方に……と思いましてね……実はソノ……丁度いい都合だったんです……」
と不思議に言い淀んだ。
彼はスッカリうなだれて考え込んだ。
記者はベルを鳴らして女給を呼んだ。
「失敬ですが、お近付きに一杯差し上げましょう。丁度いい時分ですから。僕はいただけませんがね」
彼は静かに頭を上げた。決心したらしく、顔をツルリと撫でて淋しい苦笑いをした。
「どうも済みません……実はあなたを新米の刑事か何かだと思ったもんですから……ついカラカッて見る気になって……」
「アハハハハハハ、似たようなものです」
「フフフ……しかし浅草の話だけは勘弁して下さい。ほかの処なら構いませんが……仲間が居るんですから……」
「ええ、結構ですとも。何でも記事になれば……君のお名前もきかなくていいんです。僕も云いませんから……」
「痛快だな……しかし弱ったな……」
「アハハハハ。まあ、一杯干し給え……この女給さんは君の?」
「弱ったな、どうも……」
彼は紅くなって頭を掻いた。
記者は、この恐ろしく単純な、且つ正直な不良美青年との約束を固く守ってやろうと決心した――神田の駿河台下で本紙を売っている、いないに拘らず……。
因に彼はその後、芝の或る製菓会社に這入ったと聞く。
◇おことわり
途中ではあるが、ここでちょっとお断りしておきたいことがある。ほかでもないが、この稿を書き始めて間もなくから今日まで、各
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