ェーに毎日行って、十銭ずつ珈琲《コーヒー》を飲む。それ以外に何も取らずに、必ず五銭|宛《ずつ》余計に置いて来る。こうして三円使ううちには、きっと女給を二人以上引っかけて見せると、或る不良が云ったそうである。不良学も容易でない。
 この頃は、女学生だの、職業婦人だの、又は上流の淑女、令夫人たちが、ドシドシカフェー程度の飲食店に這入る。デモクラ精神の普及であろう。御蔭で不良は満作である。
 気の利いたカフェーやその他の飲食店には、よく別室の設備がある。これは温泉の家族風呂、料理屋のチョンの間と同様、いろんな男女が人を馬鹿にする処である。外からは何も見えないが、○○と同じ程度に挑発する。
「不良」はよく一人でここに入って女給を呼ぶ。人待ち顔に話しかけて口説き落す。その代り失敗すると、コックや何かに半殺しの眼に合わされるが、その危険があるのでなお面白いと云う。
 大きな有名なカフェーには御定連の名士? が居る。名高いカフェーゴロ、顔の古い艶種《つやだね》記者、不良老年、壮士の頭目、主義者のチャキチャキなぞが、午後の或る時間になるとズラリと顔を揃える。駈け出しの不良なぞはそれと知ったら縮み上る。そうして早くあれ位の顔になりたいと思う。学生が博士になりたいと思うのと対《つい》である。

     好男子で乱暴者でピストルの名手

 極印つきの不良少年に二種類ある。昔は硬軟の二つであったが、今では、その中に又、文化式と非文化式の二派が出来ている。たとえば、硬派で斬るの突くのというのは非文化式で、地位や名誉なぞいう社会的の生命を脅かすのは文化式である。軟派では野合式が非文化組、社交式が文化組である。昔もこの区別があるにはあったが、今の東京程著しくなく、又、今の東京程入り乱れていない。
 その中でも硬派の非文化式という奴は、人間が怜悧になったせいか非常に減って来た。居ても満州や支那に飛んで行ったり、又は文化式の手先に使われて改宗したりするらしい。その代り文化式の方は恐ろしく発達して来た。
 世の中の変遷はこうした不良の世界にもちゃんと現われているから面白い。否、「不良」の方が「世の中」に先立って変化して行くのかも知れぬ。
 硬派の非文化式の中で、或る一人の事蹟は、今でも東京のカフェーゴロの間に語り草になっている。その話は、その男に脅迫された人の友人で、立派な官歴を持った人の談とよく一致しているから、聞いた通りここに書いておく。事実の有無は保証出来ない。只参考迄である。
 その男は高い身分を持つ某家の令息で、好男子で、ピストルを撃つ手腕に独特のものがあった。
 彼は十代から家を出て、乾児《こぶん》を連れて東京市中のカフェーを押しまわった。彼の前でちょっと生意気な素振りをする者があると、彼はいつも相手の意表に出る乱暴を加えてタタキ伏せた。
 彼の乱暴とピストルは仲間の敬意の焦点となった。

     警視庁を横目に睨んで脅迫


 彼は遂に警視庁に挙げられて処分されたが、出獄すると間もなく、嘗て警視庁の巡査の先生であった有名な武術家某氏を単身訪問して暇乞いをした。
「今から東京を立ち去るから、旅費二百円程頂きたい」
 と要求した。
 武術家某氏は言下に拒絶した。
 彼は黙って懐中から短銃を取り出して見せた。
「今この中に六発の弾丸が這入っております。その第六発目で貴方を撃つのですから、そのつもりで見ていて下さい」
 と念を押して、悠々と一発放った。その弾丸は武術家某氏の耳朶とスレスレに飛んで天井を貫いた。
 某氏は粛然としていた。
 ――二発――三発――四発――。
 皆耳とスレスレに飛んだ。
 ――五発――。
 武術家某氏は手を挙げて制止した。望み通りの金を与えた。
 これは今日迄秘密にされているという。
 彼はその金を持って有力な乾児と共に東京を出た。各所の有名な富豪を訪れて金を強要したが、
「今日金が無ければ、明日《あす》何時に貰いに来る。警察に訴えるのは自由である」
 といった調子であった。その中の一つで釜山《ふざん》に起った事件は、その当時、本紙にも載ったから思い出す人もあるであろう。
 彼は満州から支那方面に去ったらしく、その後の消息は聴かぬ。

     文化式不良学

 今の東京にはこんな非文化式は流行《はや》らぬ。その代り文化式が全盛で、極印付きが三千何百も居るのだからウンザリする。今から二十何年前の非文化旺盛時代が坐《そぞ》ろになつかしまれる位である。
 こんな文化式不良の札付きになると、東京市内外の不良の系統がわかって来る。同時に不良学上の智識と興味がズンズン付いて来る。
 第一に東京市中の案内が、親の家の中よりもよくわかって来る。それも町筋や電車系統位の事でない。眼ぼしい店ならば、その営業振りや店員の顔ぶれ、お客の筋。工合のよさそうな異性の家ならば、その内情や生活振り、家の構造、近所との関係なぞを、その家の主人よりもよく知るようになる。
 警察や憲兵署員の顔と名前、性質等は特に大切である。交番の所在はもとより、抜け路地や飲食店の案内、眼じるしになる家とか木や石の形まで、必要に応じて記憶して、抜け目なく利用し得るようになる。
 警官達を親友みたようにしているのも居る。手先になっているのも居るらしい。

     世間が馬鹿に見える

 不良学の中で最も六ヶ《むずか》しく、面白いのは、他人の心理を見抜く術と、その隙《すき》に乗ずる呼吸である。これは普通の世渡りにも必要なものであるが、不良の方の術と呼吸は世間並の裏を行くのだから六ヶ《むずか》しい。
 人間の心理を、大人と子供、男と女、又は職や生活に依って区別して、あらかたこんなものと飲み込んでいるばかりでない。その場の調子に依って自分の心理状態までも一瞬間にかえてしまって、相手の気持ちに吸付いたり、又は薄トボケて捕まり損ったりする術と呼吸の必要は、不良生活の到る処に出て来る。理想的に云えば実世間の名優でなければならぬ。
 この辺まで研究が積むと、人間が皆馬鹿に見えて、面白くてたまらない。講談本や探偵小説にある巨盗怪賊の忍術は、こんな事を云ったものかと思われると吹き立てる不良さえある。無論当てにはならないが……。
 現代の教育には、この人間学の一科目が欠けているため、学生は皆、学校を出てからポツポツ研究に取りかからねばならぬ。それは不良は早くから裏面的に研究して、ドシドシ実際に応用している。世間見ずの令息令嬢が引っかかるのも無理はない。
 ところで、そんな人間学の先輩――不良学のお手本が日本一に集中しているのは東京である。

     場所に依って違う不良の種類《たち》

 東京の不良は場所に依ってタチが違うようである。土質に依って植える草が違うのと同じわけであろう。
 浅草は主として脅迫や誘拐で、千住方面は相も変らず遊廓や魔窟相手のゴロが多い。神田、本郷、早稲田方面は書物泥棒や下宿屋荒し、麹町、青山、牛込、渋谷あたりへかけては誘拐や色魔式が横行する。又、下町一帯は万引やカフェーゴロの仕事場で、山の手は色魔や詐欺の本場と云ってよかろう。東京市外となるとそんなのがゴッチャで、しかも盛《さかん》に行われる。飲み逃げや喰い逃げは無論全部共通である。
 気の利いた不良になると、遠く東京郊外の温泉地、遊覧地、海水浴場までも活躍する。但、こんなのには色魔式が多いので、東京市内及付近では、小石川の植物園が何といってもこの式の大中心地である。しかも最高級から最低級まで横行するので、バラックの裏手の午前零時頃は、用事が無ければ通る気になれない位であった。
 その次は井《い》の頭《かしら》で、これはどちらかと云えば高級なのが多いらしい。但、夜は高級か低級か保証の限りでない。根津権現はその又次という順序である。その他大小の公園、神社、仏閣、活動館、芝居小屋、カフェー、飲食店なぞが、色魔式の活躍場所である事は云う迄もない。
 このような不良の活躍ぶりを見ると、社会の欠陥がよくわかる。三千何百の不良を養う東京の社会的欠陥はどれだけに大きいのであろう。

     浅草の商売の弱点

 浅草はいろんな興行物や飲食店、又は半詐欺的の店なぞいう景気商売が多い。
 だからその商売の弱みが多く、不良につけ込まれるところがザラにある。しかし又、それだけ不良に慣れ切っているから、滅多な不良は寄せ付けぬと同時に、不良|除《よ》けの不良を飼っておくような処もある。
 こんな複雑な関係で、浅草界隈に居る不良には、ほかの処と違った共通のスゴ味があるようである。どちらかと云えば、ゴロ式が多くて、色魔式は割合に少いように見えた。尚、昔は随分非文化式が多かったが、今はゴロ式にも色魔式にも文化式が多いようである。
 この辺の不良には共同の宿を持っているのがある。活動館の裏手の煮売屋とか経師屋の二階、又は土一升に金一升の処に居ながら何商売も持たぬように見えるシモタ家の裏二階なぞに、帽子や着物を掛並べて、昼間でも一人二人は熟睡しているといった塩梅《あんばい》である。踏込んで押入れを開くと、汚い夜具の間に女の着物や持ち物がギッシリなぞいうのがある。
 木賃宿に泊っているのは、どちらかと云えば浮浪に近い方で、あまり上等でないのが多い。将来の立ちん坊の卵もその中に居ると思われる。
 それから、この頃の浅草で単独の仕事をするのは、余程腕の冴えた縄張荒しか、又は顔の通った首領株だそうな。単独のように見えて、実は見え隠れに相棒を連れているのもあるという。
 彼等の仕事振りの中で、読者の警戒に価する例を二つ三つ挙げる。

     案内女を情婦にして無切符をパクル

 浅草の不良少年の中の或るものは、活動の案内女を情婦に持っている。その情婦が入口を預かっている時にスルリと這入って、場内の無切符をめっける。もちろん無切符は表方の方でも見張っているから、それ以上に眼を利かせなければいけないが、素振《そぶり》や何かでそれと察すると、ハネるのを待って物蔭へ連れ込んで脅迫する。
「僕はアノ館《コヤ》の見張りだが、君は無切符で見ていたろう。君は知るまいが、浅草の活動小屋でそんな事をすると命がけだよ。見つかり次第、楽屋へ連れて行かれてノメされるのだよ(ノメスとは半殺しにする事で、この習慣は今でも盛に行われる。平生ヘイヘイやっている館の男の鬱憤晴らしなので、館側では勿論、警察も知らぬ顔をしている)。君は初めてだから、僕が話をつけて連れ出したんだが、無代ではほかの奴が承知しまい。僕も話をつけると云った以上、いくらか飲ませなくちゃならないのだが、一体いくら持ってるね」
 なぞと捲き上げてしまう。手強いのは懐手をした相棒が居て横からジロジロ睨んでいるから、無切符位の奴なら大抵落城する。しかも、無切符だけならいいが、立派に金を払って見ている人間の中で気の弱そうなのを見つけると、この手と同様の云いがかりを作ってパクルと云うから恐ろしい。気の弱いものは浅草の活動を見に行けなくなる。
 又、ある一人はカフェーに這入って網を張る。お坊ちゃん式の学生が這入って来ると、待ち構えて話しかける。相手が煙草でも吸っていれば一層妙である。

     君はまだ禁止物を見ないでしょう

「君、活動を見に来たんでしょう。浅草でも普通の活動は駄目ですよ。秘密に営業している禁止物を見たまえ。それあ面白いですよ。僕はそこの技師を知っていますから、映写室から見せてあげましょう」
 なぞと連れ出す。
 それから、道筋を記憶出来ないように大急ぎでグルグルと引っ張りまわして、裏口からヒョイと自分の根城に連れ込む。
 そこで脅迫して、金や時計をふんだくっただけで帰せば、大抵の坊ちゃんは秘密を守るそうであるが、タチの悪いのに引っかかると、自宅に電話をかけて金を持って来させる。
 それも、バットの空箱に入れてどこの石の上に捨てろの、どこのカフェーの鏡の前のテーブルで渡せなぞいうのは、古い上に危険が多い。最新式のは、囮《おとり》の少年に手紙を書かせて、自身にその家を夜中にたたき起す。
「この手紙を受け取って
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