方面からいろいろの言葉や手紙を記者は受けた。
 その中には記者に対する激励の言葉……たとえば、
「この際東京に対する日本人一般の迷信を徹底的に打破せよ」
 なぞいうのがあった。又は、わざわざ面白い且つ信ずべき材料を賜わった向きもある。
 それ等の方々の厚意に対して、記者は先ず以て深甚の感謝の意を表する。
 同時に批難の言葉も沢山あった。その一二例を挙げると、
「このような記事を生徒に読ませるわけに行かぬ」
 というのや、
「あの記事があるために、毎日、非常な不愉快を感ずる。早くこの不良記事を紙面から葬れ」
 というなぞが最も多かった。無論、こうした批難の方は大抵は匿名の手紙が多かったが、それでも相当の教育や責任を持った人々の言葉と受け取れるのが多かった。
 記者はこれ等の批難を賜わった方々に対しても亦深くお礼を申し述べる。
 それ等の方々は、云う迄もなく、非常な同情ある本紙の愛読者であると共に、特に深甚の注意を以て本紙の記事を読んで下さる人々でなければならぬからである。
 同時に記者は、それ等の批難に対しても、衷心から同感の意を表明するに躊躇しないものである。
 この記事中に出て来る事実は、今迄のは無論の事、これからの記事の中で最も甚だしい一つでも、平生の新聞の社会面に現われる記事のヒドサよりもヒドクないつもりである。
 しかし、それでも実を云うと、記者はこの記事の材料を集めつつある際に、これはとても書けないと思った事が屡々《しばしば》であった。到底、紳士淑女の前で公表出来ない事ばかりと云ってもよかった。そうして、それをこの程度にまで手加減して公表する迄には、幾度か考え直して後決心した事であった。
 この記事を忌み嫌われる方々は、今一度考え直して頂きたい。
 たとえば――。
 紳士淑女として口にすべからざる事も、口にする事を憚《はばか》るために、一般の人々が如何に堕落という事に対して無智識になっているか。如何に見当違いの警戒、筋違いの注意が施されているか。そうして、そのために如何に多数の不良少年少女が善良な家庭から出ているか。
 そうして、その原因を調べて見ると、その両親や監督の責任者が、堕落という事に対して無智識なためというのが大部分を占めている。
 如何なる理由で、如何なる順序で子女は堕落するか。又は、これから述べようとする事例、即ち不良少年少女の魔の爪は、如何にして、如何なる場合に善良なる子女に打ち込まれて行くかという事を、口にしたり、耳にしたりする事を恥ずるからである、と云っていい状況である。
 現在の東京では、そんなウッカリした態度では、不良少年少女に対する取締が出来ない事が各方面に証拠立てられている。
 しかも、この傾向は現に西部日本にもドシドシ浸潤しつつある事を、記者は充分に認め得るのである。関門連絡船に二三回乗って、若い男女の東へ行く風俗と、西へ行く風俗を注意しただけでもよくわかる。福岡あたりの活動のハネ時に半時間程立って見ても一目瞭然である。
 そればかりでない。東京人の堕落はかくして日本人の堕落となるであろう。これに対して如何に戒心し、警備すべきかは、単に本紙愛読者のみの責任に止まらぬであろう。
 更に、このような事を耳にしたり、研究したりする事を卑しめるために、このような事実を知らずして警戒の方法を誤り、又は無関心にしておいて、他日、東京人の堕落の影響が新聞紙上に事実として現われた時、初めて驚く事が賢明であるかないかは議論の外であろう。
 記者は深く謝する。記者が、冒頭、この事をお断りしておかなかったために、この記事が或る誤解を惹起したのみならず、読者諸君に対する非礼を意味することになった事を、ここに更めてお詫びをする。
 尚、この稿を起した根本の目的は末尾に述べるつもりである。この稿を読まれる方々はその局部――のみを見ず、全体を一貫した趣旨をそこで看取して頂きたい事を併せて希望しておく。

     家庭荒しの団体

 浅草に限らず、不良少年は団体を組んでいるのがいくつもある。「三人行けば必ず師あり」で、彼等が寄り合うと、その中にはきっと得手《えて》が出て来る。顔だけでも正直そうなの、女の好きそうなの、睨みの利きそうなのと、いろいろ特徴が違うところから、協同して仕事をした方が便利である。首領も無論、その中から出て来る。
 昔は小桜団とか二組とか大きな団体があって、他の団体と争ったり、又は単独行動に出る奴を迫害したりしたが、これは大抵非文化的の不良であった。文化的の方はコソ泥あしらいをされて、ドチラかと云えば軽蔑されていた。
 ところが、彼《か》の大地震後は反対に文化的の方が勢を得た。同時に、非常に多数の不良が出たので混沌状態を呈した。すくなくとも昨年の秋まではそうであった。
 その中《うち》にポツポツと固まったのがあって、記者が聞いたのは下谷に一つ、麹町から牛込へかけて二つ、青山に一つある。大抵一組十人位から三十人位まで居るという。浅草にはいくつもあるが、皆小さいように思う。その代り亡命印度人の配下になっているようなのがある。
 こんなのの名前は、始終取りかえるのでわからない。仕事は、浅草のを除いていずれも家庭荒《はとがりあら》し(鳩狩?)が主で、しかも、ほかの脅迫《ぱくり》や誘拐《かたり》見たように少数の黒人《くろうと》の腕揃いではない。団結も固くなければ、仕事もチャチなのがあるという。つまり、まだ発達向上の余地がある訳である。
 こんなことを書いているうちにも、東京では有名な不良少年少女団が二つ三つ挙げられた。足もとの明るいうちに切り上げたい。
 しかし、それでもまだ、一般家庭の参考になる事や、当局にも知られていまいと思う事がないでもないから、そんなのを一まとめにして次に述べる。

     少女誘惑ラムプ団

 麹町に二つあった団体の中《うち》の一つは、一昨年の暮あたりまでラムプ団と云っていた。今は何と云うか知らぬが、本拠は牛込か四谷辺に移動しているらしい。
 震災当時、四五人の不良が集まって、どこからか拾って来たラムプを取り捲きながら仕事の相談をしたのが始まりで、追々《おいおい》人数が殖えて来ると、そのラムプの形を知っているものは団員に相違ないと認める組織になっていたという。今では、そのラムプは勿論、団体のあるなしすらわからなくなっているが、仕事はチャンとしているらしい。日比谷と九段はその二大中心で、青山方面にも手を延ばしているという。
 仕事というのは以前は誘拐であったが、この節ではやりにくくなった上に、足が付き易い。又、万一挙げられた場合に刑罰も重いので、もっと文化的な、安全な方法を執るようになった。
 先ず良家の令嬢を誘惑して関係を結ぶ。それからその両親や監督者に手紙を出して、手切金をせがむ。呉《く》れなければその令嬢の嫁ぐ先々に或る手段を施して呪う、場合に依っては死ぬ迄結婚させぬ――なぞいう威し文句を送る。「警察に訴えてその相手を捕えても、あとに団員が残って仕事はする。あなたのお家の名誉と金の引換えだがどうだ」なぞと来ると、不良少年の慣用の文句を知らない親たちは本当にしてふるえ上る。
「そんなヘマな相手には引っかかりませんよ」
 とか何とか威張る新しい令嬢があるかも知れぬが、そんなお方は前に掲げた「少女のラブレター」を今一ペン読み直して頂きたい。そうして、そのレターが全部、不良少年の懐中から出たものである事を考えて頂きたい。
 青山や下谷のも略《ほぼ》似たようなものらしいが、青山のは赤十字社があるだけに博愛式の汚行専門らしく、下谷のは又誘拐が多い。それも小学生程度の少年をモノすることがチョイチョイあるという。

     令嬢を狙う団体の攻撃準備いろいろ

 不良少年団体は、皆結束を作って神出鬼没する。合言葉や暗号なぞを作って用心をするのは事実で、なかなか捕まりにくいという。
 彼等の団体は団員を方々にブラ付かせて、眼ぼしい少女を物色させる。物になりそうなのを見つけると、あとを跟《つ》けて家を突止める。それから手をわけて調査を始める。
 ちょっと嫁探しに似ているが、条件は大分違う。別嬪に限らぬ事、色気のある事――新しい風《ふう》付きであればなお結構――イヤラシイ位であればなおなお結構である。家庭が裕福でなければならぬ事は云う迄もない。
 調査をする事も嫁探しと趣が違う。その家の構造、その令嬢の部屋の位置、財産預金先、家族の状態、起床時と就寝時、一般の家風、令嬢の生活状態、お小遣いの多寡、趣味嗜好、朋友関係、月経の来潮期、手紙を遣る人と来る人の名前、殊にその内容は必要で、ドンなタチの女か、物になるかならないかを判断する。その他まだいろいろあるが略する。
 こんな調査事項の中には、関係をつけたあとから聴き出す方が容易なのが多いが、成るべく前に調べておいた方が安全な事は云う迄もない。第一、余り早く関係をつけると、見損いをして、飛んでもない失敗をする事があるという。
 こうして、愈《いよいよ》見込が付くと、一人の選手が出て誘惑に取りかかる。
 学生風でも、サラリーマン風でも、成るべくその家の人々が案内を知らぬ方面で、その令嬢が好きそうな風采《なり》をして接近する。

     手紙で誘惑する方法

 少女を誘惑する方法に二つある、なぞと云うと八釜《やかま》しくなるが、実は何でもない。一つは手紙を出して見るので、普通の少年でもよくやる。只、不良少年少女のは、大抵慣れた奴が文案したのを本人が書き直して出すので、芸妓や女郎のと同じねうちしかない。又、その令嬢の素質、頭、顔付きなぞに依ってコタえるように書くところも違う。
 見本を出そうかと思ったが、前の少女のラブレターと違ってなかなか手に入り悪《にく》かったのと、判で押したように空《から》お世辞の千篇一律だったから止した。
 要するに普通の色文《いろぶみ》だと、こちらがのぼせ[#「のぼせ」に傍点]ているから、初めから無暗《むやみ》にセンチメンタルな事ばかり書く。一方に相手の方は惚れても何もいないのだから、あまり感服しない。
 これに反して、不良少年の文《ふみ》の上乗《じょうじょう》なのになると極めて冷静である。相手に依って美文的に、又は哲学的に辻褄を合わせて書いてある。相手の得意なもの、又は姿の特徴なぞは、抜け目なく巧みに賞めてある。万事が向う本意で、こちらを出来るだけ謙遜して、お上品ずくめである。尤も新しがりの色気たっぷりな相手らしいのは、初めから思い切り甘ったるく持ちかけてある。
 不良が最も困るのは手紙に書く所番地である。無暗《むやみ》に改めると相手が信用しなくなるし、改めなければ危険が伴う。そのほか色んな面倒がある上に、能率も上らない。だから腕に覚えのある奴は直接法で行くか、又は両方を用いて行く。

     直接の誘惑法

 直接の方法というのは、ザッとこんなやり方である。
 眼星をつけた少女の学校の往復、外出の道筋なぞを狙って一緒の電車に乗り込む。少女《スター》に近付いて前に立つ。
 それから機会を作って話しかけ、足を踏んであやまる式もあれば、吊り皮を譲る式もある。狎《な》れた奴になると、初めからピッタリと寄り添って、肘で乳を押し上げ押し上げしながら相手の反応を見る。これは近頃のダンス流行から出たヤリ口だそうな。しかも、ダンスの奥許しの秘伝を電車の中で応用するのだから適わない。
 相手が腰をかけていれば、こっちの膝で向うの膝を小突く。程よいところでニッコリして見せる。これに相手が応ずればもう成功だそうな。
 そんな安っぽい女の子があるものかと云う人があったらば、前の「若い女性の享楽気分」の章を今一度読み直して頂きたい。
 勿論、不良の方も第一回で成功しようとは思わぬ。根強くこれを繰返して、いよいよ言葉を交わす段取りになると、又の逢う瀬を約束する。あとは大抵きまり切っている。仲間同志で散々オモチャにしたあとを、ユスリの種に使うのである。以上はほんの一例で、まだこのほかにどれ位交際の機会があるかわからぬ事は、既に東京の年中行事
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