。
「公娼私娼の存在は文明国たる日本の恥辱」といったような議論をよく聴かされる。救世軍、婦人矯風会、その他の宗教関係の人々、又は或る一派の社会政策研究者、人道論者等のそれがそうである。
このような人々はよく外国の例を引くようである。
「外国の都市には私娼も公娼も無い。それでいてチャンと風紀が保たれている。公娼私娼を置かなければ遣り切れないような国民では駄目だ」
というような説さえも耳にする。
一方に、海外の殖民地を見て来た人なぞには、よく日本の娘子《じょうし》軍の威力を賞《ほ》め千切《ちぎ》る人がある。
「彼女達の魔力は無人の野山を見る間《ま》に都会にして終《しま》う。これを以て見れば、東京から吉原や千束町を除くものは東京の繁昌を呪うものだ。醜業婦は都市の繁昌のため欠くべからざるものだ」
なぞ云う人もある。
この二様の議論のどちらが怪《け》しかるか怪《け》しからないかは、人々に依ってそれぞれ意見があるであろう。
論より証拠、当局が東京第一、否、日本第一の魔窟浅草の千束町をたたきつぶした結果を見ればわかる。
醜業窟撲滅の結果
私娼は撲滅すべきものである。
人
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