ならぬ。その収入や地位の向上はもとより、その首の切り継ぎまでも彼女達の上役の異性の手に任せねばならぬ。
しかもその上役には彼女達の手腕よりも、彼女たちの美を求むるものが多かった。
彼女達の中には、こうした余儀ない事情から、第二の職業を習いおぼえたものも少くなかったろう。否、職業婦人堕落の原因の中でも、こうした原因はかなりの重大さを持っていると見ていい。
しかしそのほかの光明界に踏み止まった職業婦人――即ち第一の職業だけで満足し、且つこれを一生懸命護り固めて来た若い女性たちの大多数が、遂にその暗黒と光明を隔つる紙一枚の境を踏み破らなければならぬ時が来た。
それは大正十二年の九月一日であった。
読者は記憶しておられるであろう。大正十二年九月一日の大震火災後一二ヶ月の間、東京市中に婦人の戒厳令が布《し》かれた事を。勿論それは公式のものではないが、当局の達示によって自警団員が夜間婦人の外出を禁ずる旨を布告《ふれ》てまわった。
婦人への戒厳令
「新宿、品川、吉原等の遊廓は潰れた。その他の醜業屋も大部分は焼けてしまった。各券番は休業した。東京のあらゆる街々は、夜になると飢え
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