である。
 その銀座が夜になると、来るわ来るわ、東京市に居る人で銀座散歩《ぎんぶら》を知らぬ人は余程の野暮天と笑われる位である。
 色セメントや色ペンキで近代様式の数寄《すき》を凝らした家並み……意匠の変化を極めた飾窓……往来に漲る光りの洪水……どよめき渡る電車、自動車の響の中《うち》に、ささやき合い、うなずき合いつつ行く、華やかな「希望」や、あでやかな「幸福」の姿は、十分間も立ち止まっていれば、ガッカリする位眼の前を横切って行く。
 どれが不良やら善良やら、見当が付きそうにも思えぬ。
 しかし、記者はガッカリしなかった。そんな処を毎日うろついて、或る事を探ろうと試みた。或る事とは、不良少年少女の団体が、どんな風に活躍しているかという事であった。
 しかし、それが又、片っ端から骨折り損になって行くのにはウンザリした。何一つ収穫なく、コーヒーで腹をダブダブにして、電車に揉まれて帰るのは全くイヤなものであった。
 しまいには事実上殆ど匙を投げてしまった。
 ところが――。

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 ずっと前、東京市中の学生仲間に鳥打帽大流行の事を書いた。そんな材料を調べている最中の
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