落する可能性がある。
苦学に成功すると独立独歩で、誰も八釜しく云う者が無い。つい慰安の意味で遊んで見る。忽ち苦学では追付かなくなる。
さもなくとも初めから成功が目的だから、喰えさえすれば学校なんぞはどうでもいい。学費を稼ぐのが馬鹿げて来る。
おまけに「世間はこれ位のものか」という気になっている。その油断から不良風を引込む。東京市中の到る処の抜け路地は、苦学の御蔭でチャンと飲み込んでいるから、堕落するのに造作はない。
東京の家庭の婦人、色町の女、魔窟の女なぞが、苦学生というと無暗《むやみ》に同情するのも彼等のためにならぬ傾向がある。
帝大の苦学生で、苦学生の元締めをやっているのがある。本郷に大きな家を借りて苦学生を泊める。納豆を二銭乃至二銭五厘で仕入れて来て、三銭五厘で卸してやる。苦学生はこれを五銭に売って食費を払う。その二階に大学生は陣取って、変な女を取り換え引き換え侍らして勉学? をしている。
不良とは云えまいが、ざっとこんな調子である。
少年の悩みから
一般に今の若い人々は、「将来」に対して一つの大きな悩みを持っている。
少年の方は、学校を出てから何に
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