人間として不良性を備えざるなしという事になる。孔子の「習《ならい》」、基督《キリスト》の「罪」、釈迦の「業《ごう》」等いう言葉は、この意味を含んでいはしまいかと思われる。
この人間性、即ち不良性はいろんな因縁に依って善ともなり悪ともなるので、天性善良な素質を豊に備えた少年少女でも、一度不良的刺戟を受けると、存外容易に不良化する傾きがある。
東京の二三署の刑事や部長が記者に話した事の中で、左の意味の処だけは共通していた。
「不良になった動機の中で、何の気もない少年少女が偶然に一度不良から被害を受ける。それがキッカケになって案外容易に不良化する。時と場合に依っては、良心の極めて鋭い少年少女がかなり甚だしい不良になっている場合さえある」
云々と。尚、記者の見たところに依れば、良心の鋭いというよりも、気の小さい者が、一朝の刺戟で大胆な自暴自棄的境界に踏み込むことはあり得る。
「不良化率」減少法
たとえば或る少年か少女かが、何品《なにしな》かを不良少年に捲き上げられる。ところで父兄母妹にそれを発見されてはならぬ……というような申訳ない心の苦しみから、ツイ不良な方法でその捲き
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