」の、「女は家庭の付属物」だのと心得ているのは、中世紀か封建時代の思想である。その粕が馬に乗って民衆運動の先登《せんとう》に立った時代も過去の事である。新しい婦人が吉原へ女郎買いに行ったのは更に古い時代である。議会で男の席までも占領したとて、ちっとも驚く事はない。
婦人参政――被教育権の主張――その他社会的の地位を要求する黄色い声は、天下に満ち満ちて来た。
産児制限に依て象徴される、婦人の享楽的権利の主張は、医術と薬剤の発達でドシドシ貫徹されている。
職業婦人の増加に依って、婦人の独立生活、享楽生活の容易な事は明らかに証明されている。
女性崇拝の外国映画は盛にこの傾向の太鼓を持つ。
欧米の新思想は又、精神的方面からこの傾向を刺戟して、目下八度五分位の熱を出しているところである。
新しい女の先覚者の活躍時代は過ぎた。今は一般に普及しつつある時代である。男女同権――否、女尊男卑がドシドシ流行する。
反《そ》り女に屈《かが》み男
呆れても驚いても追付かぬ。東京の女は男と同様に自由である。眼に付いた異性に対して堂々とモーションをかける。異性を批判し、玩味し、イヤにな
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