る。そうしてその堕落ぶりは、将来に於ける日本民族の堕落ぶりを暗示しているものと考えられねばならぬ。
不良という意味にはいろいろある。喧嘩や恐喝をやる式、泥棒や万引きをやる式、女をたらす式、又はこれ等をまぜこぜにやる式と、大体に於て四通りある。尤《もっと》も不良少女の方は喧嘩はやらぬ。やっても掴み合わないからわからぬ。しかし恐喝以下は皆やる。
震災前の東京の不良少年には、喧嘩、恐喝の傾向が漸次減少しかけていた。浅草あたりで初心な少年少女を脅かして金を捲き上げるために、喧嘩を吹っかけたり、短刀を見せたりするのがある位のものであった。それ以上の乱暴や無鉄砲を働くものは、壮士か不良青年に属すべきものであった。それが震災直後には急に殺伐になった。
自警団やその他のやり口にかぶれたものかどうか知らぬが、団体を組んで長い物をふりまわしたり、又は焼け残りの刀剣類を荷《かつ》いだりして喧嘩をしてまわった。
殺伐から淫靡へ急変
この時代は東京市中の混乱時代で、取締りが不行き届きであったため、一層彼等は乱暴を働いた。方々の焼け野原でよく乱闘が行われた。そのほか、個人的に兇器を持ったり、棒を持ったりして衝突してあるいた奴はどれ位あるか知れぬ。
東京の不良少年がこんなに乱暴になったのは、明治初年以来の事だそうな。日清戦後当時、一時気が荒くなったが、これ程ではなかったと警視庁では云っている。
あまり甚だしいので、警視庁令で三寸五分以上のものを所持する事を禁止したが、これはかなり効果があったという。
この殺伐な傾向は間もなく脅迫、泥棒、掻《か》っ浚《さら》い式に変化し、続いて急激な速度で淫靡な傾向とかわって来た。
その淫猥化の速かさ、深さ、広さは真に驚くべきものがあった。殊に昨大正十三年の春から夏へかけては、その絶頂に達したかと思われた。
不良性は如何にして地方に伝わるか
どこでもそうであるが、不良少年少女の活躍が最も眼に立つのは春から秋へかけてである。そうしてその活躍の影響が地方に及ぶのは、夏と冬と春の休暇後である。殊に冬の間は、表面上不良性の潜伏期であると同時に、内実は蔓延期であるらしい。東京の不良性を受けた者が、冬と春の二度の休暇に帰って来て、地方の子女に直接に病毒を感染させる時季であるらしい。
昨年の夏から秋へかけての東京の子女の不良ぶりが
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