って遊ぶようになった。何の事はない、千束町の女は、醜業道の宣伝と奨励と講習のため、その筋の鞭に追われて、東京市内外の各所に派遣されたようなわけになった。

     何百何千の女の祟《たた》り

 記者は私娼公娼の廃絶論に満腔の敬意を払うものである。同時にその議論が事実上常に裏切られつつある事を悲しむものである。
 東京の千束町を只一ヶ所たたき潰したために、東京はその何層倍の呪いを受けている。この上吉原まで潰したらどんな事になるかわからない。
 宗教上、道徳上、社会政策上、又は単なる体裁上、私娼公娼の存在に反対する人々は大切な事を忘れている。女というものは殺すと化けて出るものである。況《ま》して、何百何千の無恥無教育の女の生業を奪うような事をしたら、どれ位祟られるかわからない。
 目的は要するに一般の風俗の改善である。この目的が達せられない限り、私娼公娼の絶滅論は考えものである。本《もと》を忘れて末《すえ》に走った議論である。或る一時の人気取りの議論であると云われても仕方があるまいと思われる。
 これは議論に対する議論でない。
 議論に対する事実である。
 東京人の堕落時代が明瞭に証拠立てた事実である。
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   不良少年少女



     東京に行きたがる子女

「東京に行きたい」と、あこがれ望む少年少女は、天下に何人あるかわからぬ。その子女を東京に遣っている父兄、又はこれから東京に遣ろうとする親達も現在どれ程あるかわからぬ。東京は若い国民の教育の中心地である。同時に少年少女の魂の華やかな自由境である。殊に地方に在る子女が、監督者の手を離れ、知人朋友の注視から逃れて、腹一パイに新しい空気を吸いに行く処である。
 そこの空気が如何にみだりがわしく汚れているか。如何に甘い病毒に満ち満ちているか。殊に最近の腐敗が如何に爛熟を極めているかを描く事は心ない業《わざ》でなければならぬ。
 しかし止むを得ない。
 記者はそのような人々のために特に慎重にこの筆を執《と》らねばならぬ。出来る限り露骨に真相を伝えねばならぬ。

     不良性と震災後の推移

 清浄無垢な少年少女の空前の不浄化は、東京人の堕落の中でも最も深刻な意味を持っている。
 不良少年少女の激増は、東京人の堕落時代を最も深く裏書するものである。その時代相は日本文化の欠陥そのものを指さし示してい
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