ブラシを尻のポケットに仕舞《しま》って揚々と往来へ出た。
 次に向うの活版屋に這入って名刺を注文して前金を払った。その次には安洋食店に這入って酒を飲みながら鱈腹《たらふく》詰め込んだ。その払い残り五円で花束を買って、往来の靴|繕《つくろ》いを見付けて靴を磨かせた。最後に活版屋へ行って名刺を受取った。

     ―― 10[#「10」は縦中横] ――

 徳市は星野家を訪うて名刺を出した。
 ハイカラな女中が出て来て奥へ取り次いだがやがて引返して来て応接間に案内した。
 徳市は応接間に這入るとポケットから葉巻を出して吹かし初めた。
 星野智恵子はさも嬉し気に這入って来た。貴婦人も這入って来て挨拶をした。
  私は智恵子の母時子と申します……
  この間は何とも……
  まことに……
 徳市は苦笑しながら礼を返した。謹んで花束を智恵子に捧げた。
 智恵子の眼は感謝に輝やいた。
 母子《おやこ》は茶や菓子を出して徳市をもてなした上、近いうちに智恵子が出演する歌劇の切符を二枚徳市に与えた。
 智恵子は意味あり気な眼付きをして云った。
  もう一枚の方は……
  どうぞ奥様に……
 徳市はハッ
前へ 次へ
全48ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング