も亦《また》十人が十人自覚している。
 唯、それが実際に行われないまでのことである。
 これがわかっていて行われない事実が、東京では最も甚だしい。つまり東京人は、大和民族の実際上の無自覚性を、最も極端に発揮していることになるのである。
 羅馬《ローマ》を亡ぼしたのは羅馬《ローマ》市民の「無自覚」であった。同様に時代は違っても、仏蘭西《フランス》を亡ぼすものは仏蘭西《フランス》国民、わけて巴里《パリー》ッ子の「無自覚」である。英国の倫敦《ロンドン》ッ子に於ける関係も同様であるという議論を、記者は方々で聴いた。
 一国の首都の住民がその国の文化の粋を集めた生活に酔うと、その国民性の美点と弱点とを極度に代表した性格となる。これにあこがれた地方人は皆これを真似ることを名誉とするようになる。それはいいが、そのいいところはまねずに、まね[#「まね」に傍点]易い頽廃的なところばかりをまね[#「まね」に傍点]るために、国民一般が懦弱《だじゃく》となり、センチメンタルとなる。遂《つい》には美しく果敢《はか》ない滅亡の床に喘《あえ》ぐようになるのは、今も昔も同じことである。
 こうして「江戸ッ子衰亡」の事
前へ 次へ
全191ページ中32ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング