うと必要はない。
 教科書を買う時の気分は制帽であるが、Y書を買う時の心理状態は鳥打の下に隠れねばならぬ。
 故郷の親元に送るらしい写真は大抵制帽を冠るので、顔付きが似なくて困ると写真屋が云うが、鳥打帽のはどんな処に送るのやら……。この辺になると大分手際が鮮かな方であろう。
 女学校の運動会見物、慈善市《バザー》、野外劇《ペーゼント》、クリスマス、その他の催しのお手伝いなぞには、制帽の方が殊勝らしくていいそうであるが、それが済んだ夜の帰りがけに、思う人と連れ立って行く時は鳥打帽を冠るべしだそうである。
 そのほか展覧会、校友会、由緒ある会、出たらめの会なぞ、それぞれ鳥打帽と制帽の使いわけ方がある。その冠って来た帽子が制帽か鳥打帽であるかに依って、その会合を理解しているかいないかがわかるという位デリケートな研究を要するので、無暗《むやみ》に上等の新流行で身のまわりを飾って、ハイカラと心得ているような連中は一ペンに落第してしまう。

     学生と見られぬため

 東京の学生の制帽と鳥打帽の使い分け方を街頭から見ただけでもかなりいろいろあるが、単に鳥打帽だけの冠りわけでもちょっと研究を要
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