するのかね」と聴いたら、「新婚の御夫婦や何かは、大きな声でナットー屋アなんかとおっしゃりにくいと見えましてね、こちらがお気に召すらしいのですよ。エヘ………」と妙な文化式の笑い方をした。トテモワカラナイ。
 新聞の広告や何かに「文化的○○薬」だの「文化○○サック」なぞいうのを発見して、文化の意義をいよいよ怪しんでいると、或る横町で文化焼芋というのを発見した。近寄って見ると、皮を剥《む》いて丸焼きにしたところが「文化」なのだそうな。アライヤダ。イヨイヨ小三の落語式になって来た。
 この塩梅《あんばい》じゃ足を棒にして眼を皿にしても、「文化」の定義は見つからないと諦めた。
 ところが文化の方では、なかなかそれ位の事では承知しない。まだまだ沢山あるという。何だと聴いて見ると、必ずしも文字に書いてなくとも、文化の意義を含んでいるものが数限りない。近頃|八釜《やかま》しい「性教育」には立派な文化的意義があるので、女学校で教えるお料理に必ず出て来るテンピも、文化生活になくてならぬものだそうである。フライパンや紅茶沸かしは云うまでもない。
 こいつを今一層文化的にすると、
「御飯とお惣菜《そうざい》は
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