がわからなくなっている。
文化生活、文化村、文化住宅、文化机、文化|竈《かまど》、文化タワシ、文化丼、文化|饅頭《まんじゅう》、文化|煎餅《せんべい》、文化まめとなって来ると、どこが文化なのか見当が付かぬ。
縁日に出ている停電用の燭台や電球蔽い、書翰箋やインキ壺まで文化と名づけてある。かと思うと、書物には文化出版、売り出しは文化的提供、文化的家具一式、叮嚀親切薄利多売は文化的広告なぞいう看板がある。
つまり安くて便利で重宝でハイカラなのが「文化」かと思うと、そうでもないらしい。
この頃、文化納豆というのが出来たというから八百屋(東京の)に行って見せてもらうと、羊羹《ようかん》包の位なヘギの折りに這入っていて一個十銭である。普通のが五銭だから、よっ程上等だろうと思って喰って見ると、只の納豆で別にかわった事はない。只|高価《たか》いだけである。
生れつき頭の悪い記者は、念のため今一度買った八百屋に行ってきいて見たら、「今までの藁苞《わらづと》に這入っているのでは、そのままお膳に乗っけられませぬ。つまり文化的でないというので」と云う。「じゃどうして高価《たか》いのだ。この箱代が五銭
前へ
次へ
全191ページ中157ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング