彼等の中ッ腹は無知、無定見の辛棒無し……つまり無鉄砲の異名となった。江戸前の気象というのは、只《ただ》鼻の先の事にばかりカッと逆上《のぼ》せあがる、又はほんの一刹那の興味ばかりを生命《いのち》よりも大切がって、あとはどうでもいいという上っ調子を云うことになって来た。
 熱い湯に這入れぬと云って山の手のものを軽蔑した。洒落《しゃれ》がわからぬと云って学者を馬鹿にした。話が早わかりせぬと云って算盤《そろばん》を取るものを仲間外れにした。十両の花火のパッと消えて行くのを喜び、初|松魚《がつお》に身代を投げ出し、明神のお祭りに借金を質に置いた。
 彼等の平民的性格の中にこうしたブル気分が流れ込んだ原因の中には、天下泰平から来た武士の無力と、彼等の富の膨張も勿論加わっているのであるが、とにかくこうして彼等の気象の中《うち》には次第に亡国的気分があらわれて来たのである。
 トドのつまり、彼等は六ヶしいことがわからないのを誇りとするようになった。政治向きのこと、法律のこと、経済のこと、物の道理や筋道……そんなジミな、シッカリしたようなことはかいもくわからぬ単純さを、江戸ッ子の自慢にするようになった。彼等の平民的気象は、太平が長かったためにあまりに洗練され過ぎて、サッパリを通り越してアッサリとなり、とうとう空っぽになってしまったと見られる。
 その癖《くせ》彼等は、器用にお金を使ったり呉れたりする人間を、すぐに親方とか兄いとかにあおいだ。
 彼等はいつでも金に困り抜いていながら、金を欲しくないという顔をしている。だからその意気を賞め、その同情を得るだけの言葉……つまり、頼むとか何とか云いさえすれば、「ええ、もう金なんぞはどうでも」と云いながら金を手にするようになった。
 その憐れむべき心理状態に自ら気が付かぬほど彼等は無知となった。金で使われているのを気が付かずに、向う鉢巻きの双肌《もろはだ》脱いでかけまわるほど憐れな人種となり果てたのであった。
 勿論、その間《かん》の気合いは支那人のそれとはまるで正反対であるとしても、事実に現われた結果は極端と極端の一致で同じことになる。無気力、無節操なぞいう亡国的人民の資格をすっかり備えていることになるのである。
 唯その間に一片同情の涙を灌《そそ》ぐ余地があるかないかの違いである。
 こうしてドン底に近づいた彼等の無気力さが、維新の時、江戸
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