城を安々と官軍に明け渡してしまったのである。勝安房は彼等の無力を理解し過ぎる程理解していたから、あんな手段を執ったのである。江戸城明け渡しは徳川国の滅亡であると同時に、江戸国民が亡国の民たる事実を裏書したのであった。
同様にこうした彼等の無知さが、東京市政を今日の如く腐敗さしたことは、最早疑う余地はないであろう。彼等はその故郷たる東京市の市政がどんなものか、その選らむべき候補者がどんなものでなければならぬか、そんなことを考え得る人民ではない証拠がとっくの昔挙がっている。
特に明治維新後の彼等は、「ギャッと生れたその時から」亡国の民であったのだ。伝統的なお祭りとベランメイ語と、有り来《きた》りの江戸趣味のために存在している、古代民族の名残りに過ぎなかった。「ドテッ腹へ風穴をあける」なぞと大きな事を云い合いながら、いつまでも何もし得ない支那人式喧嘩を見得《みえ》にしている、気の毒な民族であったのだ。
彼等に選挙に対する自覚を望むのは、比丘尼《びくに》に○○を出させるより無理な注文かも知れぬ。
江戸ッ子の人口減少
江戸ッ子は大和民族としての最初の民衆《プロ》文化を作った。その性格は大和民族の平民|気質《かたぎ》を煎じ詰めたものであった。そうして、昔、貴族階級や武士階級の文化がそれぞれブル式に爛熟して亡びたように、彼等の文化も平民的の形をとったブル気分を帯びつつ亡びてしまった。
この事実は何を語るか。
ヤマト民族が到底ブル根性を離れ得ないことを示しているのではあるまいか。吾がヤマト民族が、初めは武人の手に依って、変形的プロ文化を作って失敗した。続いて全国民の中から選り抜いた理想的平民を以て、純真のプロ文化を作ったが、とうとう我慢し切れずにブル気分にカブレて堕落衰亡したものと云えないであろうか。
この次に又別のプロ文化を作る見込は絶えた。そうしてプロの文化を作り得ない民族は必ず堕落滅亡するものとしたら、吾大和民族の文化的使命もこれでおしまいに了《おわ》ったのではあるまいか。
一方に彼等の文化は徳川の封建制度の反映を受けて堕落したとも云える。吾等大和民族は、このような政治的の反映を受けぬ、純平民的文化を作る力はもう無いのであろうか。そうして平民文化はこうした都会にしか作られないものであろうか。
とにかくにも帝都に居る古代民族……「江戸ッ子」の命脈
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