わる武蔵野の、原には尽きぬ黄金草《こがねぐさ》――土一升に金《かね》一升、金の生《な》る木の植えどころ――百万石も剣菱も、すれちがいゆく日本橋――。
こうした太平繁華の気分は、日本諸国の集まる勢を夢のように酔わした。
その中に行わるる激烈な生存競争は、彼等の神経を「生き馬の目を抜く」までにとんがらした。
この競争に打ち勝って、この盛り場に生存し得るという誇りは、彼等の感情を「誰だと思う、つがもねえ」まで昂ぶらせた。
こうして日本民族の中に選《よ》りに選った勝気な、飲み込みの早い、神経過敏な連中ばかりが、この新たに出来た平民の生存競争に居残って、益《ますます》その平民的なプライドを高め、町人的|日本《やまと》魂を磨いて行った。
奇麗好き、率直、無造作なぞいう性格は極度にまで洗練されて、所謂江戸ッ子の中ッ腹となって現われた。
趣味の方も同様であった。気の利いたもの、乙なもの、眼に見えずに凝ったもの、アッサリしたものなぞいう、彼等の鋭い神経にだけ理解されるような生活品や見物《みもの》、ききものがもてはやされた。そうして、そんな趣味のわからぬ者を、彼等は一切馬鹿にした。
事実彼等は一切の他国人の趣味を軽蔑した。そこには、彼等が日本中で最高の人種である「天下の町人」だというプライドが、云わず語らずのうちに流れていたのである。
プロ文化の末路
しかしこうした江戸草創時代の元気横溢した平民の気象――逃げ水を追《おい》つつまきつつ家を建てた時代の芳烈な彼等の意気組は、太平が続くに連れて、次第に頽廃的傾向即ちブル気分を帯びて来た。
彼等が「江戸ッ子」という集団を作って江戸の町々に根を卸《おろ》して、最早どんな偉い人様が来ても彼等の前に頭が上らぬとなると、彼等は永久に彼等を踏み付けると同時に、自然仲間同士でもプライドの競争を始めることとなった。
彼等はその御自慢の性格や趣味を弥《いや》が上にも向上さして、あらん限りののぼせ方をした。その結果、その云うことやすることがみんな上《うわ》ずって、真実味が欠けて来た。うわべは昔以上に生気溌剌たるものがあるようで、実は付け元気や空威張りになって来た。
彼等の負けぬ気は口先ばかりの腸《はらわた》無しとなった。彼等の奇麗好きはカンシャクとなった。率直が気早となり、単純が早飲み込みとなり、無造作が無執着となった。
前へ
次へ
全96ページ中38ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
杉山 萠円 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング