実は、やがて大和民族衰亡の警鐘を乱打していることになるのではあるまいか。
 否、これは疑問でない。明白な事実である。新東京の秋深きところ、十字街頭の見聞と所感が、自らここに落ちて来るのを拒否することが出来なかったのである。

     自己を嘲ける勿《なか》れ

 東京のバラック町をウジャウジャあるいている人間を、大別して二つにわける。古い江戸ッ子と新しい江戸ッ子と……。
 古い江戸ッ子というのは、講談や落語に出て来るアレであるが、新しい「江戸ッ子」というのはどんなのか。
 これはなかなか説明しにくいが、手早く云えば、「江戸ッ子」というよりも「現代東京人」と云った方がわかり易い。震災後各地から押寄せて……又は前から居残って、新しい東京の気分を作りつつある連中で、江戸前の風味なぞはあまりかえり見ない。乙《おつ》な洋食や支那料理、凝ったアイスクリームを求め、カフェー女の本名を探り、ヤゾーを作って大向うから怒鳴る代りに、亜米利加《アメリカ》ものや新派の甘い筋に手をたたき、歌沢の心意気よりも、マンドリンに合わせた「籠の鳥」のレコードを買う。もし一人か二人の社会主義者、某署の刑事、有名な芸術家や選手なぞと心安ければ、現代式東京人としては申し分のない資格が付く。況《いわ》んや女優と片言でも話をしたとなれば、新人として無上の尊敬を受けるであろう。
 こんな連中がバラック町を横行して、ムッとする位新しい東京気分を作りつつあるので、東京市はまるで生れかわって、古い江戸ッ子は絶滅したかとは思われる位である。
 とはいえ、古い「江戸ッ子」も居るには居る。ただ北海道のアイヌ人が、日本人に圧迫されて次第に衰滅して行くように、彼等も現在の新しい東京人に押されて、衰滅の一路を辿っていることは疑われぬ。殊にその衰滅の速度が、昨年の震災を一期として、著しく早くなったことは一層明白な事実である。
 記者は新しい東京人の裏面を研究する茲《ここ》に、順序として古い江戸ッ子の末路を弔《とむら》わねばならぬ。
 記者は所要で東京に行くうちに、かなり江戸ッ子や江戸通の知人が出来た。そのために直接間接に「江戸ッ子」なるものに対して興味を持つようになったのであるが、不思議な事に記者の知り合いの江戸ッ子や江戸通に限って、屡《しばしば》「江戸ッ子滅亡論」を口にするのであった。
 その議論の根拠をきいて見ると、
[#ここ
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