は、正に大和民族の男性的な性格を最も痛快に代表しているものと云えよう。その大和民族の精華たる江戸ッ子の故郷たる東京の市政が、どうしてこんなに腐敗して行くのか。
 音に名高いあの江戸ッ子の潔癖と義侠心は、こうした東京市政の腐敗堕落を見て何とも感じないのか。天下の旗本を焼豆腐になぞらえた、昔の意気はどこへ行ったか。それは昔の夢物語りで、今の江戸ッ子は切っても赤くなくなったのか。
 東京市政頽廃の裏面にはいろんな原因がかくれているであろうが、堀切前市長管掌はその原因を「選挙民の無自覚」に帰している。
 選挙民の「無自覚」ということは、吾が大和民族が天から授かった美徳で、別段珍らしい言葉ではない。吾国の村会、町会、市会、県会、国会等いう議員が、今日の如く竹篦《しっぺい》下がりに堕落して行く根本的の原因が、国民の政治的智識の欠乏、言葉を換えて云えば愛村、愛町、愛市、愛国心等が薄いのに原因していることは誰でも知っている。仮令《たとえ》普選になっても、美徳がある限り天下はいつまでも太平であろうとは誰でも感じていることで、この美徳を打破って憲政有終の美を満たすには、唯一つ「選挙民の自覚」あるのみというも亦《また》十人が十人自覚している。
 唯、それが実際に行われないまでのことである。
 これがわかっていて行われない事実が、東京では最も甚だしい。つまり東京人は、大和民族の実際上の無自覚性を、最も極端に発揮していることになるのである。
 羅馬《ローマ》を亡ぼしたのは羅馬《ローマ》市民の「無自覚」であった。同様に時代は違っても、仏蘭西《フランス》を亡ぼすものは仏蘭西《フランス》国民、わけて巴里《パリー》ッ子の「無自覚」である。英国の倫敦《ロンドン》ッ子に於ける関係も同様であるという議論を、記者は方々で聴いた。
 一国の首都の住民がその国の文化の粋を集めた生活に酔うと、その国民性の美点と弱点とを極度に代表した性格となる。これにあこがれた地方人は皆これを真似ることを名誉とするようになる。それはいいが、そのいいところはまねずに、まね[#「まね」に傍点]易い頽廃的なところばかりをまね[#「まね」に傍点]るために、国民一般が懦弱《だじゃく》となり、センチメンタルとなる。遂《つい》には美しく果敢《はか》ない滅亡の床に喘《あえ》ぐようになるのは、今も昔も同じことである。
 こうして「江戸ッ子衰亡」の事
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