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◇江戸ッ子は個人主義で、自惚《うぬぼ》れが強くて理解が一つもない。
◇洒落気《しゃれけ》ばかり強くて、物事に根気が無く、趣味が古くして、進取的気象に乏しい。
◇生活は頗《すこぶ》る平民的のようで、その精神は小さな貴族である。
◇天下を取る頭も力も無く、只その日その日の趣味的生活を貪って、誰が天下を取ろうが、政治をしようが平気の平左である。
◇江戸ッ子は亡国の民である。
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といったようなもので、極端なのになると……、
「江戸ッ子は講談や落語に出て来るほかには、現代のどこにも居ない人種である。居るとすれば、それは昔の江戸ッ子の風《ふう》付きや気分を真似る掴ませもので、そんな奴は亡びちまうが日本のためになる」
というような極端なのもあった。
記者はこうした「江戸ッ子衰亡論」を、しかも江戸ッ子自身から聴くとき、いつも一種の不愉快さを感じた。
「江戸ッ子自身が江戸ッ子を馬鹿なんて怪《け》しからんじゃないか。君等は地方の田舎者が、どれ位『江戸ッ子』を尊敬しているか知らないのか。ことに地方の青年少女たちは、死ぬ程東京を恋い焦れると同時に、一日も早く『江戸ッ子』になりたがっているんだよ。彼等は云わず語らずのうちにこう思っているんだよ……日本中の人間が、あの頼もしい、サッパリした『江戸ッ子』みたいになったら、どんなに嬉しかろう。日本はどんなに強い美しい国になるだろう。早く東京へ行って、文化的自覚の洗礼を受けて、『江戸ッ子』になって帰りたい。そうして田舎のシミッタレた無自覚さを片っ端から眼ざめさしてやりたい……と胸をドキドキさせているんだよ」
新日本赤化主義
「だから田舎はだめだというんだ」
と或る文士は云った。
「田舎は唯『江戸ッ子』という言葉の感じだけを崇拝しているんだ。ベランメー語の威勢に驚いてるんだから駄目だよ。江戸ッ子という言葉の強みや、頼もしい感じをそのまま体現した『江戸ッ子』は一人も居ないんだよ。
それあ、江戸ッ子の垢《あか》の抜けた個人主義と神経過敏とは、どこの人間でも敵《かな》いっこないさ。それを田舎者は矢鱈《やたら》に崇拝するから困るんだ……。
見たまえ!
苟《いやしく》も江戸ッ子を以て自ら任ずる者で、二重橋にお辞儀をするものは一人もあるまい。馬鹿馬鹿しい……そんなのが忠義じゃな
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