の中心文化が東京のバラックの下に芽生え育まれているものとすれば、その新文化の骨子たるべき新智識と新思想は、東京の学生が挙《こぞ》って冠る鳥打ち帽の下に養成されている筈である。その新智識と新思想は角帽や金釦を馬鹿にするだけの権威あるものでなければならぬ。鳥打帽を冠る学生諸君たるもの……豈《あに》奮発勉励せずんばあらざるべけんやである。

     職人の供給過剰

 東京市中の第三階級、即ち赤切符等は現在どんな生活をしているか。
 これはなかなか大問題で、記者のノートに止めてあるだけでも一年や二年では書き尽されぬ位である。だからその中で二ツ三ツ面白い事実だけを紹介して、その中に反映する彼等の生活を見て頂く事にする。但し街頭観の主旨にはそむくが……。
 第一は警視庁の人事相談所に持ち込まれて来るプロ階級の悲喜劇である。これを順序立てて観察すると、震災直後から今日までの彼等の生活の変遷がわかる。
 警視庁の人事相談所が丸の内のどこにあるか。どんな組織になっているか。そんな事はここには必要がないから略して、直接本論に移る。
 昨年、例の震火災があるとすぐに、警視庁では救護班を組織して、逃げ迷い、弱りたおれた人々の救護に従事した。これを九月十三日まで継続すると、次第に新しく持ち込まれる救護が減少して来たので仕事を打ち切った。
 この事実を逆に考えると、東京全市民が最も甚だしい酸鼻な境界にいたのは、九月の中旬頃までと見る事が出来る。……東京市中の手まわしのいい新聞社が、無代配布をやめて、月極めにし始めたのも丁度この頃からである。死ぬものは死に、助かるものは助かり、怪我人や病人はそれぞれ手当てを受けて落ちつく事になったのであろう。
 次に起る問題は助かった者の鼻の下の問題である。
 昨年九月十三日以後、警視庁で開始した労働紹介には非常な大群衆が押し寄せた。
 当局では管内の各署と協力して、これを片端から灰片付け、食料運搬等の仕事にまわして奮闘していると、約一ヶ月ばかりしてから市内の各自治団体で本式の職業紹介を開始したので、そっちに仕事を譲って、今度は人事相談所を開始した。
 以上の筋道を裏面から見ると、東京市中の人々は、生命を助かる道から生命をつなぐ道へという差し詰まった問題から、次第に人事のコザコザした相談へと落ち付いて来たその間が二ヶ月足らずという事になる。
 警視庁の人事相
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