下に這入る智識こそ本当の智識と云うべきである。これを理解しない学校当局が日本にはまだ沢山居るから情けない。日本の前途のため実に慨嘆の至りだ」
 こう両方で慨嘆されては手の付けようがない。全く慨嘆の至りである。
 東京の中流学生の生活の中で鳥打帽一つを研究しても、かほどに広大無辺な意義を持っているので、そのほかの広大無辺さは到底筆舌の及ぶところでない。悉《ことごと》く鳥打帽の下に収めるのは不可能で且つ不自然である。
 併《しか》し彼等の生活の裡面は、よくこの鳥打帽で代表されていると思う。勿論それは物質的の生活と云うよりも、精神的生活に近い方面を主として象徴している。
 極めて低い意味で云う物質と精神の二つのうち、学生の生活はどちらに傾いているかと云うと、無論後者の方である。言葉を換えて言えば、学生の生活は世間一般の人のソレよりも、物質に支配される割合がごく少い。鳥打帽を買うにしても必要からでなく、只そういった気分に涵《ひた》りたいために二円乃至四円を奮発するので、参考書を買う余裕はなくても、新流行の鳥打を買う銭はあるのが彼等の生活の特徴である。
 こんな風だから彼等東京の学生生活には、一般人の生活と違った底抜けの自由さと奔放さがある。そうしてその自由さと奔放さは、震災後に流行する鳥打帽の下から現われたものでなければならぬ。
 彼等はこの鳥打帽式の自由な奔放な生活振りに依って東京を色付けている。風俗、商売、女等に彼等の思想傾向を反映さしている。
 排米問題の時、真先に米国物を買わなくなったのは彼等学生であった。ところが近頃舶来品排斥思想が一般に行き渡ると、真先にこの習慣を打ち破って舶来のノートや鉛筆を買い始めたのは矢張り彼等学生であった。舶来の石鹸、香水、歯みがき、ハンケチ等いうものを惜し気もなく買うのは彼等学生であるという。下宿屋で文化生活に凝るのは学生に限るとまで云われている。
 日本第一の剛健質朴を以て東都に幅を利かした一高の学生は、この頃|羅紗《ラシャ》のマントを好まなくなった。彼等の仲間にも鳥打帽が流行《はや》り出したという。
 一葉落ちて天下の秋である。震災後の東京に於ける制帽の凋落……鳥打帽の流行は、単に学生の平民化、智識の民衆化ばかりを意味するものであろうか。
 その鳥打帽は前の学校当局の言を借りて云えば、矢張り地震鯰が揺り出したものである。将来の新日本
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