環をはめたりステッキを持ったりする。
 そんなに制帽が気に入らないのなら、寧《いっそ》の事制服までやめてしまって、背広か何かにしたらよさそうであるが、それは又そう行かない理由がある。
「アラチョイト、あなた学生さん? 可愛いわね!」
 てな声を聞きたいために、時々金釦を光らかして見せなければならないからである。今一つには給仕や安腰弁と見られないためもあろうし、も一つには上等の学問をしているエライ人の卵で、金を持っている時は、気前よく使う人種であるという事を、先方に合点させる必要があるかららしい。
 これを要するに、東京の学生はみんな出来るだけ制帽を冠るまい、鳥打帽を冠ろうと心掛けているので、トドのつまり東京で朝から晩まで真面目に制帽を冠っているのは、浅草の仲見世や縁日に出て来る物売りの角帽だけと云っても過言でない。
 余談に亘るが、こうした傾向は単に学生ばかりではない。日本全般のすべての方面にあらわれていて、云わず語らずの中《うち》に日本人全般の思想が或る重大な変化を来しつつある事を示している。
 皇室では恐れ多い事ながら成るべく民衆に親しく御接し遊ばすよう、すべての形式を御改廃中とかに洩れ承る。これに準じて官辺はもとよりすべての事が民衆化しつつある事は云う迄もないが、これにカブレて軍人までが官服を嫌うようになったそうである。そのような思想の変化が学生の鳥打帽となって現われた事は云う迄もない。

     鳥打帽下の新日本

 こうした学生仲間の鳥打帽の大流行に対して、学校当局はかく云う。
「震災後、学校の制服がどうでもよかった時代がありましたので、その影響でもありましょうか。いずれにしても彼等学生の腐敗と堕落は、この鳥打帽に原因しているに違いありません。大学生の中折れは、いくらか真面目な感じを含んでおりますので、まあいい方ですが、鳥打帽を見ると私共は、実に不愉快な、学校を軽蔑しているような、又は彼等の人格が疑わるるような一種の危惧の念に打たれざるを得ません。しかしこれを許さないと、学校の人気がわるくなるので止むを得ません。実に国家の青年の風紀上慨嘆に堪えぬ次第であります」
 これに対し学生の方はこう云う。
「制服制帽は官僚政治の遺風だ。偽善とか束縛とか因襲とかいう旧思想のお名残だ。学問は民衆的でなければならぬ。智識には囚われたところがあってはならぬ。だから鳥打帽の
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