》にもならないのを、今云ったようなわけで捨て売りにするんだ……。
 失礼ながら皆さんは職業紹介所のアブレじゃあるめえ。バラックの東京から鉄筋コンクリートの東京になるまで奮闘しようという人だろう。そのバラックの寒さを凌《しの》ぐにゃあ、これが一番だ。ボロボロ綿の晒《さら》しグルミの夜具を買ったって、五円十円は飛んで行く。それがどうです、この熊の皮が八円半だ……こっちの大きい方は二十円コッキリと云いたいが、もう仕舞い時だから只の一本半……十五円に負けとく……。
 それからどうです……こっちの白いのは……これが北極の氷山に住んで人を喰う白熊だ。五十や百のハシタ金で手に入る代物じゃない。これが昨日《きのう》までは四十五円と云っていたが、今日は諦めて四十円にしておく。惜しいけれども仕方がない。その上負けろったら四十一円だ……どうです、買いませんか旦那……まったく末代道具ですよ……こっちの親方あ、どうです……」
 こう聴いているうちに、扨はバラック住居《ずまい》の連中の稼ぎ溜をねらっているなと感付いた。しかしそれにしてもあんまり安過ぎるから、調べて見たら、みんな黒犬と羊の皮だと聴いて開いた口が塞がらなかった。
 その後気を付けたら、方々の縁日でやっているので、益《ますます》驚いた。とても「無言正札主義」なぞの及ぶところでない。つくづく日本は広いと思わせられた。

     一円七十銭争奪戦

 前に述べた「無言の正札主義」と「おしゃべりのゴマカシ流」とは、現代式営業の両極端を見せている事になる。これに観音様の「無言の無正札」式営業振りと、境内の乞食の稼ぎ振りと、チンピラの掻《か》っ泄《さら》い生活、立ちん坊の働き具合まで加えると……大きく云えば人間世界……小さく見れば全東京のあらゆる商売振りを代表したものが、十八間四面のお堂のまわりに集まっている事になる。
 但、これは昔からあるので、今度震災後特に眼に付いたのは、その売り物の価格が向上した事と、そのねらっている客筋が違うことである。
 毛皮売りは大道商人の中でも一番|高価《たか》いものを売るのだそうだが、まだこのほかにも一円以上のものを大道で売るのが沢山居る。
 万年筆売り(一円位から十四五円)、友禅《ゆうぜん》のセリ売り(負けたところで一丈五尺一円二三十銭から三四円まで)、ガスの靴下やメリヤスのシャツの糶売《せりう》り(前同
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