鉄の室の中の鉄の床の上に寝かされています。そうして傍《かたわら》に、だれか一人の男の人が心配そうな顔をして自分を見ています。
空にはいつの間にか真っ黒な雲が出て、風が吹き出していましたが、折から雲の間《ま》を出た月の光りでその人を見ますと、その人はまだ若い気高い人で、身体には美しい紫色の着物を着ていましたが、なおよくその顔を見ますと、その人の口は、この国の人間のように絵で書いたものでなく、本当の赤い唇なのでした。
「アレ」
と叫んで姫は飛びおきました。
「あなたのお口は本当のお口……」
こう叫びますと、その若い人は白い歯を出してニッコリ笑いました。
「ハイ、私はこの国のあわれな片輪者です」
「まあ……あなたが片輪者ですって」
と姫は又ビックリして尋ねました。若い人は静かな声でこう答えました。
「そうです。この国は口なしの国と云いまして、この国中の人はみんな口が無いのです。鳥でも獣《けもの》でも虫までもそうなので、声を出すものは一つもありません。雷と、雨と、霰と、風と、水の音――そんなものしかきこえないのです。それは昔この国中の人があんまりオシャベリだったからです」
「まあ……オシャベリなのにどうして口が無くなったのでしょう」
と姫はあんまり不思議なお話なのに驚いて、眼をまん丸くして尋ねました。
若い人はそのわけを話しはじめました。
「それはこういうわけです……昔、この国中の人は何でも見たことやきいたことを、ひとにお話しすることが好きでした。そうしてお話の上手なオシャベリの人ほどみんなから賞められましたので、だれもかれもおもしろいお話をしよう。みんなビックリするようなオシャベリをしよう、しようと思いました。そのためにだんだん嘘をまぜて話すようになりまして、とうとう嘘の上手なものがオシャベリの上手ということになりました。そうしてこの国中の人々は毎日毎日嘘のつきくらばかりして、本当のことは一つも云わないようになってしまったのです」
「まあ……それじゃみんな困ったでしょうね」
「エエ、ほんとにみんな困ってしまいました。誰の云うことも本当にされないからです。その中《うち》にこの国とよその国と戦争がはじまりましたが、いくら敵が攻めて来たと云っても誰も本当にしません。戦争の支度もしなかったものですから、この国の人は滅茶滅茶に敗けて、もうすこしで国中がすっかり敵に取られてしまうところでした」
「まあ、大変ですね。それからどうしました」
と姫は心配そうに尋ねました。
「私の先祖は代々この国の王でしたが、その時の王はこれを見て、国中の人々に『これから口を利く奴は殺してしまうぞ。鳥でも獣《けもの》でも虫でも、声を出すものは皆、殺してしまえ』と云いつけました」
「まあ恐いこと」
「けれどもそのために国中の人々は一人も嘘をつかなくなったばかりでなく、何の音もきこえぬほど静かになりましたので、敵の攻めて来る音や号令の声が何里も先からきこえるようになりました。その時にこちらの兵隊はみんな鉄の鎧を着て、短刀を持って、王が指さす方へ黙って進んで行きまして、黙って敵に斬りかかって行きましたので、今度はあべこべに敵が滅茶滅茶に負けて逃げて行ってしまいました」
「まあ……よかったこと」
ときいていた姫はやっと安心をしました。
若い人はなおもお話をつづけました。
「それから後《のち》、この国中の人々は一人も口を利かなくなりました。しまいには只ぽかんと口を開いていても、役人が遠くから見つけて、物を云っていたのと間ちがえて殺したりしますので、国中の人は怖がって、ものを喰べるのにも、口を開かないように牛乳やソップなぞいう汁を鼻から吸うようになりました。そうして何千年か暮しているうちに、この国の人は口が役に立たなくなったので、だんだん小さくなって、とうとう今のようにまったくなくなってしまいました。けれども全くなくなると妙な顔に見えるので、この国の人は鼻の下の、昔口のあったところに赤い唇の絵を書いておくのです」
「それじゃ、あなたはどうして口がおありになるのですか」
と姫は尋ねました。
若い人はこう尋ねられると顔を真赤にしましたが、やがて悲しそうにこう答えました。
王子はその大きな眼に涙を一パイ溜めながら、
「この国中の人間が皆口が無いのに、私一人口があるのについては、それはそれは悲しいお話があります。あなたはあの山梔子《くちなし》という花を御存じですか」
と不意に王子は尋ねました。
「ええ、よく知っています。あの晩方に大きな花を咲かせる木で、大変にいいにおいがします。花が真白なのとにおいがいいので夜でもよくわかります」
と答えました。
王子はうなずきました。
「その山梔子の樹は名前を『口なし』と書くので、昔からこの国の人々が大好きでした。ですから
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