であることはヒルミ夫人自身が一番よく知っていた。しかもこの場合、夫人自身が創生したその信頼すべき手術学のために、夫人が生命をかけている愛の偶像を、自らの手によって破壊しさらねばならぬとは、なんたる皮肉な出来事であろうか。
 わが掌中《しょうちゅう》にしっかり握っていると信じていたわが夫は、はたして真《まこと》の万吉郎であろうか。はたして万吉郎か、それとも万吉郎を模倣した偽者か。
 夫人は自らの作りあげた入神《にゅうしん》の技が、かくも自らを苦しめるものとは今の今まで考えなかった。もしこんなことがあると知っていたら、もっと不完全な程度にとどめるのがよかった。神の作りたまえる人間と、寸分たがわぬ模写人間を作ろうとしたことが、既に神に対する取りかえしのつかない冒涜《ぼうとく》だったかも知れない。
 ヒルミ夫人の瞼《まぶた》に、二十数年この方跡枯れていた涙が、間歇泉《かんけつせん》のようにどッと湧いてきた。
 夫人は長椅子の上にガバと伏し、両肩をうちふるわせ、幼童のように声をたてて、激しく鳴咽《おえつ》しはじめた。

 そのことあって以来、ヒルミ夫人の頬が俄《にわ》かに痩《こ》け、瞼の下に黝《
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