各地を巡業して歩く。どこの都市でも闘牛場を持たない所はなく、男も女も争って見に行き、貧乏人は着物を質に置いても見に行くということである。折よくサン・セバスティアンに来たのは、サン・セバスティアンは北の海岸の避暑地で、其処では夏の季節が選ばれるからであった。
 話の結論として、矢野氏は初日の午後私たちを案内してくれることになった。午後四時半に始まり、牛を次々に六頭殺して夕方に終るのがきまりで、牛はいずれも一定の牧場《ガナデリヤ》で訓練された四歳から六歳までの猛牛である。危険はしばしば起るが、牛は必ず仕止められることになっている。危険は人にも起るが、馬にはより多く起り、以前は槍役《ピカドル》を乗せた馬は牛の角で横腹を突かれて死ぬのが多かったけれども、一九二八年以来馬には防護衣を着せることになったので、見物人は血みどろの腹綿の飛び出すのを見なくてすむようになった。否、闘牛ファンに言わせれば、それを見る痛快感を奪われたわけである。

    二

 その日の午後少し早めに私たちは出かけた。プラサ・デ・トロス(闘牛揚)は大きな無蓋の円形劇場《アンフィテアトロ》式の建物で、昔のローマの闘技場を原型
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