の新聞で、小ベルモンテの傷は背後だったのでそれほどのことはなく、第二日目は木曜日に開場されると報告された。

    五

 闘牛を見ている間、私の同情はしばしば牛の方へ行き、大勢が寄ってたかって一匹の動物をいじめ殺す残酷さが気に食わなかった。しかし、闘牛士《トレロス》たちの技術がすばらしくうまいので、ややもすると技術そのものを讃歎するような気持もあった。これは甚だ矛盾した心境ではあるが、正直にいうと、そんな気持であった。
 それが次第に回数が進むに随って、殺されるのを見ることに慣れ、オルテガが鮮かな技法で仕止めた時などは、たしかにオルテガ讃美者の一人になっていた。長い間闘牛を見慣れた人間たちが血を見ても平気でいる心境がよくわかるように思われた。
 一体、エスパーニャ人の脈搏は今日でもモール人の血で鼓動している。力強さと敏捷さと美しさにあこがれるというのはその証拠である。それは国民生活のあらゆる方面に見られるが、最もよくまとまって現れてるのは闘牛に於いてである。イバーニェスの『血と砂』に拠ると、闘牛が今日の形式の演技に完成されたのは十八世紀の中葉だとあるが、歴史的に起源を求めれば十一世
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