紀乃至十二世紀からで、初めはモール人の演技であったし、牛もアフリカから持って来たのだが、それがエスパーニャに遺っていたローマ帝国の競技精神と結びついて美化されたものらしい。強くて敏捷で優美な闘牛士《トレロス》は早くから民族的偶像となり、女でさえ闘牛士になったものがあった。ドーニャ・マリア・デ・ガウシンという若い美しい尼は修道院を脱け出して女|闘牛士《トレロス》になり、全国に雷名を轟かした後、晩年はまた尼僧生活に帰ったといわれる。
残酷性は闘牛の蔽うべからざる一要素であるが、ハヴェロック・エリスが言ったように、エスパーニャ人は言葉の最上の意味で今日でも野蛮[#「野蛮」に傍点]であるとすれば、残酷[#「残酷」に傍点]は野蛮には付きものである。気の烈しい活動的な情熱は恋と宗教と戦争に向って動く。闘牛もその変形のようなものである。殺すか殺されるかの土壇場に立って血を流して果たし合いをする。それを見て気の弱い者ははらはらしたり、どきどきしたりする。しかし、エスパーニャ人をばそれはリオハの美酒の如くに酔わせる。エスパーニャ人は宗数に酔い、舞踊に酔い、同じように闘牛に酔う。その酔い心地を解しない者が闘牛場に行くのは、どうも場ちがいのようである。私などは生酔《なまえい》にもなれなかった一人である。
[#地から1字上げ](昭和十三年―十四年)
底本:「世界紀行文学全集 第四巻 イギリス、スペイン、ポルトガル編」修道社
1959(昭和34)年11月20日発行
底本の親本:「西洋見學」日本評論社
1941(昭和16)年9月10日発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2007年8月9日作成
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