らってる牛を後《うしろ》にして悠々と歩いていると、いきなり牛は駆け出して彼の臀部に角を突っ込み、反ね上げた。あッという間もなくベルモンテの身体は投げ出された。見物人は総立ちになり、驚愕の叫びが一斉に発せられた。テュロたちが駆け寄って、赤い合羽を振って牛を一方へおびき出し、ベルモンテの身体は大急ぎで運び去られた。死んだのだか、傷ついただけだったのか、その時はわからなかった。
異様な緊張が場内を支配した。
オルテガが代って現れた。しかし、彼はいきなり刺そうとしないで、赤い旗を振ってからかいにかかった。日本風の武士道の気持から判断すると、戦友の弔い合戦をするようなものだから、すぐ仕止めた方がよさそうに思えるが、彼はいつまでも自分の技術をひけらかして牛をあしらってるので、殊にベルモンテびいきのファンは虫が収らないと見え、しきりに半畳を入れる者がある。オーチョー・パララ・レンチャ……と方々から叫び声が投げられる。遂に突き刺したが、剣は半分きり刺さらなかった。二度目の十字剣でやっと仕込めた[#「仕込めた」はママ]。
喧喧囂囂のうちに場は閉じられた。まさに六時が振り上げられた所だった。
翌日の新聞で、小ベルモンテの傷は背後だったのでそれほどのことはなく、第二日目は木曜日に開場されると報告された。
五
闘牛を見ている間、私の同情はしばしば牛の方へ行き、大勢が寄ってたかって一匹の動物をいじめ殺す残酷さが気に食わなかった。しかし、闘牛士《トレロス》たちの技術がすばらしくうまいので、ややもすると技術そのものを讃歎するような気持もあった。これは甚だ矛盾した心境ではあるが、正直にいうと、そんな気持であった。
それが次第に回数が進むに随って、殺されるのを見ることに慣れ、オルテガが鮮かな技法で仕止めた時などは、たしかにオルテガ讃美者の一人になっていた。長い間闘牛を見慣れた人間たちが血を見ても平気でいる心境がよくわかるように思われた。
一体、エスパーニャ人の脈搏は今日でもモール人の血で鼓動している。力強さと敏捷さと美しさにあこがれるというのはその証拠である。それは国民生活のあらゆる方面に見られるが、最もよくまとまって現れてるのは闘牛に於いてである。イバーニェスの『血と砂』に拠ると、闘牛が今日の形式の演技に完成されたのは十八世紀の中葉だとあるが、歴史的に起源を求めれば十一世
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