初めて知つたのである。それにしても、オテル・テルミニュのミ[#「ミ」に傍点]が強く響いたといふのも疲勞のせゐだらうと笑つてしまつた。
 私たちはホテルに行つてS君に逢ひ、I夫人にも逢つた。そこで、偶然にもM氏とその家族の人たちにも逢つた。M氏にはシャルトルへ行つた時その車に乘せてもらつたことがあつた。今度は家族の人たちの乘船を見送りに來てるのだが、その車で邦人避難者で車にこまつてる人たちを運んでやつたりしてゐた。尊敬すべき奉仕だ。
 その日も、停車場では出征軍人の見送を幾組も見た。見送といつても細君一人が見送つたり、母一人が見送つたりして、默つて抱擁したり接吻したりするだけで、群集の堵列もなければ喚呼もない。眞情の涙と無言の告別だ。
 その夜、彫刻家の菊池君から電話で、やつと着いたといふ知らせがあつた。翌日逢ふと、作品は全部パリに殘して、汽車に乘れないので大枚四千フランを奮發してハイヤで畫家のM君の家族と二家族で着いたのだといふ。またM氏の家族と一所になつてる若いA夫人にも逢つた。彼女の父(私の一高時代の同窓岩永裕吉君)が亡くなつたことを初めて聞いた。驚きと悲しみで何といつて慰めてよい
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