はさうするとどんな態度に出るだらう? そんなことが考へられた。
 エスパーニャの自然や都市や生活や古い建築や美術を見て歩く間にも、斷えずそのことが頭の中から離れなかつた。初めはもつとゆつくりした氣持で見學がつづけられるつもりであつたし、矢野氏も私たちがあまり忙しなく大陸を歩きまはつてゐたのを知つて、一つは休養のために呼んでくれたのであつたが、若しかして戰爭でも始まつたら、私たちは日程を變更しなければならなくなるだらう。私たちはローマ大學で教へてゐる長男と月末にはパリで落ち合つて、一緒にもう一度イギリスへ行き、スコットランドを旅行しようと約束してあつた。その旅行にはベルリンにゐる谷口君も加はる筈だつた。しかし、それが實行できるだらうかといふ不安があつた。
 二十四日に、ブルゴス、バレンシア、エブロー、ヴィットリアなどの旅から歸つて見ると、ローマの素一から手紙がとどいてゐて、中歐の情勢が險惡だからスコットランド行はできるかどうかわからなくなつたが、とにかく月末にパリまでは行くつもりだとあつた。それはドイツとソヴィエトの不可侵條約發表前に書いたもので、九月二日から五日まで開催の豫定のナチ黨大
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