てわかつた。
 下へおりて見ると、玄關脇の小部屋でかみさん[#「かみさん」に傍点]は敷布《シーツ》を疊んでゐた。亭主の姿は見えなかつた。もう入營したのだらう。年の頃は五十そこそこに見えたが、あんな年寄を取つてどうするのだらうと思はれた。しかし、フランスでは十八歳以上五十三歳までの男は全部召集されるのだと聞いてゐた。話しながらかみさん[#「かみさん」に傍点]は泣いてゐた。
 私たちはタクシを呼んでもらつて宿さがしに出かけた。割に近くのプラース・デ・グラン・ドムのそばに手頃なホテルを見出して、まづ一週間の契約で三階の一部屋を借りることになつた。
 鹿島丸は七日にはボルドーに入港する筈になつてゐた。

       九 ボルドー膠着

 私たちは日本を出る時、ボルドーを見る豫定などは作つてゐなかつた。
 私の同郷の先輩O氏が若い頃水産技師としてボルドーに留學し、歸つてからその地方に關するいろいろの土産話を聞いた記憶があるので、それ以來ボルドーは一種の親しみを以つて考へられはしたが、今度の限られた旅行の日程に於いて、ボルドーに多くの時間と勞力を費すくらゐなら、まだ見殘した土地で見たい所は幾らもあつた。しかるに、偶然は不思議なもので、別に見たいとも思つてなかつたボルドーを飽きるほど見ることになつた。
 エスパーニャへ行く途中、ボルドーで汽車を棄てて、町のおもな建物を一瞥して歩いた時、ボルドーはこれでおほよそながら卒業したことにして置かうと考へた。エスパーニャからの歸途、今度は下りはしなかつたが、一度見た町のそこここを汽車の窓から眺めて、卒業した學課の復習をしたやうなつもりで通り過ぎた。ところが、戰爭は私たちをパリから追ひ立て、またボルドーへ運んでしまつた。よくよくボルドーに因縁が結ばれてゐたものと見える。先にいいかげんに速習したボルドーの知識が今度は正確な知識になつた。何となれば、私たちは鹿島丸の入港を待つ間、それから鹿島丸の出帆の日まで、それは實に退屈な長い逗留だつたが、その間、ボルドーを研究するより外にすることとてはなかつたのであるから。それで、もし他日私のボルドーの知識が何かの役に立つことがあるとしたら、私は今度の戰爭を始めたアドルフ・ヒトラー氏に感謝しなければならぬだらう。
 しかし、ボルドーのことよりも私たちはやつぱり戰爭の動向が知りたかつた。けれども、ボルドーでは
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