を出るとすぐ右へ折れて、構内のオテル・テルミニュへ入つてしまつたのだつた。そのホテルのことを初めから聞いて置かなかつたのは迂濶だつた。また、私としても、それを確かめて置くべきだつた。夢遊病者の迂愚!)
それにしても先に着いてるとのみ思ひ込んでゐた私の姿の見えないのが、彼女の第二の疑間だつた。どこかそこいらにゐて、お互ひに搜し合つてるのではないかとも思はれたが、燈火管制の下の暗黒はその不安を確かめることもできなかつた。もう少し搜して見て、それでも搜し出すことができなかつたら、野宿をするつもりだつた、といふ。構内のベンチの上にも、廣場のそこここにも、荷物に凭つかかつて眠つてる人たちを私たちはたくさん見た。それも大震災の時の風景に似てゐた。
――とにかく目つかつてよかつた!
――ほんたうに!
さういつて安心し合つたものの、私たちは飢ゑて疲れきつて、いきいきした喜びを言葉に出すことさへもできなかつた。
やつとの思ひで、荷物を持ち上げ、廣場を横ぎり、あかあかと灯のついてるレストランに入り、何か食はせてもらはうとしたが、ゆで卵二つのほか食ふものとては一つも手に入らなかつた。それを二人で分けて食ひ、すき腹にビアを流し込み、あとは明日のことにしようとあきらめた。
けれども、宿を搜さねばならなかつた。
それも精根を疲らす仕事だつた。初めに停車場附近の宿屋は全部あたつて見たが、どこも皆|滿員《コンプレ》だつた。ボルドーの中心はガンベッタ廣場の附近だと聞いてゐたので、その邊を搜して見ようと決心し、もうとつくに十二時を過ぎて、タクシをつかまへるだけにも多大の勞力と時間を費したが、善良な二三のボルドー市民の好意と助力でやつとそれに成功し、最初には一流の大きいホテルを次次に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]らせたが、どこも皆|滿員《コンプレ》だつた。(その頃ボルドーには約一萬人の外國避難者が流れ込んでゐた。)その次には思ひきつて、それではどんなケチなパンシヨンでもよいといふと、ショファはいやな顏もしないで、また元氣よくハンドルを※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、狹い石疊の路次へはひつて行き、とあるいかがはしい小さいドアの前に車を停めて、ベルを押した。
ややしばらくしてドアが開くと、一筋の幅狹い仄かな光の中に、小柄な寢間着姿のかみさん[#「かみさん」に傍点]
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