ることはいふまでもない。幕は切つて落されるばかりになつてゐる。私たちは丁度よい時に歸つて來たのだ。
それにしても、このパリの町の靜けさはどうしたものだらう? 誰を見ても、何事も起りさうにもないやうな顏つきをしてゐる。歩いてる者も、掛けてる者も。多くの人間はなんにも知らないのだ。ただ、一人か、二人か、三人か、極めて少數の者が、どこかの片隅で工作してゐるのだ。それが今にも全ヨーロッパを修羅の巷とするかも知れないのだ。……
――とにかく出かけよう。
さういつて私たちはそこを出た。
彌生子はすぐ近くのモン・パルナスの墓地の横手に家《うち》を持つてる菊池君夫妻を訪ねるために歩いて出かけた。私は大使館に行く前に日佛銀行に用事があるので、AEのバスでルーヴルの先まで行つた。
日佛銀行ではエスパーニャから持ち歸つたペセタをフランに換へてもらはうとしたが、もう取引は中止されて、だめだといふことだつた。支配人のY氏は氣の毒さうな顏をして、
――形勢が急にわるくなりましてね。
と嘆息してゐた。いろいろと人を走らせたりして工作してくれたが、ポンドとドル以外の外國貨幣はフランにはならなくなつてゐた。
その足でタクシを拾つて大使館に行つて見ると、意外にも柳澤健氏が待つてゐた。柳澤氏にはこの間サン・セバスティアンで逢ひ、その晩矢野公使と一緒に海岸の見晴らしのよい料理屋で晩餐を共にした。その時は家族の人たちと同伴で、これからパリへ行き、自分だけロンドンへ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つて公使事務の引繼をして、もう一度リスボアに歸つて、日本へ立つのだといつてゐた。それで今ロンドンからの歸りにパリに立ち寄り、これから家族の人たちをボルドーの附近へ送りとどけて、自分だけ一人でポルトガルへ歸らうとしてゐるところだが、今こちらへ見えると聞いたので待つてゐた、といふことだつた。ボルドーへは近いうちに郵船鹿島丸が入つて來ることになるさうで、フランス在留の日本人は皆それに乘せて避難させることになつたといふ話を、私はその時初めて聞いた。事務官のT氏が專らその仕事を引き受けて計畫を立ててゐた。
その話によると、鹿島丸は明日か明後日あたりマルセーユに着く豫定で、それをボルドーへ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]航させるまでに、ヂブラルターさへ順調に通過ができれば、五日間とはかからない
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