灯があかあかとついてゐた。
話は戰爭のことがおもだつた。ドイツでは飽くまで「廊下」を自分の物にしようとして居り、ポーランドでは拒んで「廊下」の入口を塞いだとすれば喧嘩は避けられないにきまつてゐる。問題は英佛がそれを傍觀するかどうかだが、英佛としてはすでにあれだけ大きな口を利いた以上、體面上からでもポーランドを見殺しにすることはできない筈だ。それにもかかはらず、戰爭にならないですむかも知れないといふ推定の根據はどこにあるのだらう? それを私は知りたかつた。M君は笑ひ出して、さう方程式を解くやうには行かないといつた。昨日あたりもまだヘンダーソンは動きまはつてゐた。イギリスは戰爭をしたがらないのだから仕方がない、といつた。氣ちがひでないかぎり戰爭をしたがるものはないだらう。――ヒトラーはどうだ?――ヒトラーといへども内心は戰爭を避けたいのだらう。イギリスが戰爭を避けたいといふ腹を見透して強氣に出てゐるだけだらう。しかし、事によると、イギリスも今度は本氣に腰をすゑるかも知れない。それでヒトラーはスターリンと組んだのだ。――さうなつてイギリスが立たなかつたら、大帝國の威信は地に墜ちてしまふではないか?――だから英國は結局立つだらう。フランスも同時に立つだらう。――それでも容易に戰爭が始まらないだらうといふのは?――それは、やつぱりどこの國だつて内心は避けられるだけ戰爭は避けたいのだから。……
店の中では、どのテイブルでも私たちと同じやうな話をしてると見えて、いつものやうに明るく朗らかに笑つた顏は一つも見られなかつた。女がハンカチフで目を拭いてると、男が默つてうつ向いてる組などもあつた。
私たちとしては、このままパリで待機するか、ロンドンまで引き揚げるか、それが問題だつた。形勢がまだ停滯するものとすれば、その間にロンドンまで歸れない筈はない。ロンドンには用事も待つて居り、荷物も待つて居る。もしロンドンで戰爭になつたらアメリカの船でアメリカへ渡るといふ方法もあるだらう。
さう話し合つてると、M君は、とにかく明日一日形勢を見てからのことにしてはどうだらう、といひだした。その理由は、もし明日にも戰爭が始まつたら、ロンドンは二三時間うちに空襲を受けるだらう。パリには最初に空襲があるとは考へられない。ドイツとしては、まづロンドンをやつつけて置いてからパリをば威嚇するつもりらしい。
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