スは古い町で、ケーサルの時代にはゴールの土地(ラインとピレネーの間)の最西部の主都であり、ゴールのアクウィタニ(タルベリ)族が割據してゐたといふので、その時代の城壁が今も遺つてるといふことを、私は車の中で案内記によつて知つた。普通ならば車を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して一見しないではすまさないのだが、十時三十五分のパリ行急行を取りはづしてはならないので、十三世紀の寺院と共にあきらめて、すぐ停車場へ直行した。
 停車場でパリへ電報を打たうとしたが、郵便局に行かなければ打てないといふので、町まで行くことになつた。ダックスはフランスで數少い温泉場の一つで、故杉村大使も馬から落ちて怪我をした時ここで療養してゐたと聞いてゐた。私は昨年の冬、ローマからロンドンへ行く途中、パリをおとづれて官舍に杉村氏を見舞つた時のことを思ひ出した。その時杉村氏はすぐれない顏色をしてゐたが、それでも元氣よくヨーロッパの形勢を論じて病人とは思へなかつたが、その杉村氏も今は故人となつた。……
 ダックスの町の入口にはアドゥの川が流れてゐて、長い石の橋が架かつてゐる。そこから見ると、左の方に深さ二十尺といはれる温泉の池があつて、白い煙が高く立ち昇つてゐた。郵便局に行くと、パリ宛の電報は(フランス人でも)警察の證明を持つて來たいと打てないことになつたといふ。事ごとに形勢の切迫を感じさせられる。しかし警察へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてる暇はないので、よく事惰を説明し、公使の顏で發信してもらへることになつた。
 停車場に戻つて來ると、やがて列車が入つて來た。見送つてくれた公使と別れを惜んで私たちは車中の人となつた。
 今まではエスパーニャの旅行の延長のやうなもので、私の心像にはエスパーニャの事物がいつぱい充滿してゐた。嶮しい白い山、翡翠の空、羊の切身のやうな土の色、灰色の都市、田舍の赤屋根、寺院の尖塔、サボテンの舞踏、橄欖の群落、エル・グレコの青い繪、ゴヤの黒い繪、さういつたものが限りなく記憶のインデックス・ケイスに詰まつてゐて、何を見てもそれ等のものが比較のために顏をのぞけるのだつたが、さうしてそれが懷かしまれるのだつたが、不思議にも、汽車に乘つてしまふと、そんなものはすべてピレネーの連山と共に遙かの後《うしろ》の方へ後《あと》じさりして、行手のパリの空のみがしきりに氣にな
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