ゐた、さうして、その搖れ動きの中にしばしばまざり合つて出て來るものは、ヒトラー、スターリン、ムッソリーニ、チェインバレン、ダラディエなどの影像だつた。それから、フランコ、モーラなどの影像だつた。……
 エスパーニャでは今年の三月にやつと内亂が收まつたばかりである。國民は疲れ切つて戰爭を咀つてゐる。しかるに、中歐ではまた戰爭が始まらうとしてゐる。二十年前に今のエスパーニャの如く疲れ切つて戰爭を咀つたその國土の上で。
 私たちは車の中でもしばしばそのことを問題にして話し合つた。マドリィでも、トレドーでも、ヴァヤドリィでも、ブルゴスでも、新聞は出るごとに買つて目を通すことを怠らなかつた。ポーランドの事態は日に日に急迫を傳へられた。さうして、ヘンダーソンはいつも根氣よく動き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つてゐた。その状態は私たちが旅に出た頃と表面は同じだつた。ただ急迫の度合がじりじりと徐徐につのつて行くのが、却つて氣味わるさを感じさせるのであつた。
 サン・セバスティアンに歸つてから手に入つたニューズに據ると、ドイツの動員はすでに五百萬に達したといふことだつた。私はすぐフランスとイギリスの動員のことを考へた。それはまだ公表されてなかつたが、事實に於いて動員されてないとは思へなかつた。サン・ヂャン・ド・リュズの文房具屋のかみさん[#「かみさん」に傍点]とバーの前に立つてゐた年寄の女の顏がまた私の目の前に現れた。
 その晩、I君に公使館の廊下で逢つた。文房具屋のかみさん[#「かみさん」に傍点]に昨日逢つたら、三番目の末の息子も召集されて泣いてゐたといふことだつた。
 ――今にフランスでは男がなくなりますよ。
 I君はさう附け加へていつた。
 ――フランスだけぢやないでせう。
と私はいつた。エスパーニャでは、戰後、女二十人に對して男一人の割合になつてることを私は思ひ出した。
 私たちは翌日パリへ立つことに決心した。その晩はよく眠れなかつた。

       三 ダックス

 次の日(三十一日)私たちは朝早く起きて出發の用意をした。用意とはいつても、エスパーニャにはスーツ・ケイスを二つ持つて來てるだけなので、わけはなかつた。
 公使の心づくしで冷酒といりこ[#「いりこ」に傍点]で門出を祝つてもらつた。動亂の巷へ見送られるといふ感懷が強かつた。公使は途中まで――ボルドーか
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